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<前回の記事 第10回 デフレを脱却する方法⑤

前回の記事では、エリアを「日本」とは限定せず、客観的な経済指標から、どのような理由で「デフレ」が起きるのか。
そのことについて解説いたしました。

そして、「デフレ」を断ち切る存在として、「家計」でも「政府」でもない存在。「政府」「金融機関」「日銀」の存在があることを説明しました。

また更に、「金融機関」がデフレを断ち切るための役割を果たせなかった理由として、今回の記事で、「日本のデフレの歴史」を交えてご説明することをお約束して記事を閉じました。


デフレ」の歴史

ではそもそも、いつ「デフレ」は発生し、現在に至るのでしょうか。

これについての理由はとても簡単です。デフレは「バブルが崩壊」したから発生しました。

ということで、今回はまず、「バブル崩壊」についてご説明いたします。

バブル」とはそもそも何か。
あえてご説明する必要もない言葉かもしれませんが、「土地」や「株」「絵画」など、いわゆる「資産」が転売され、価格が上がり続けた状態のことを「バブル」といいます。

最も理解しやすいのが「土地バブル」です。

バブル経済とは、この「土地」が、「必ず値上がりすることが分かっている」ことがその発生の条件です。

仮にA氏という人がいたとして、自分が持っている土地を買った時の値段の2倍で買ってくれる人がいれば、おそらくその土地を売るでしょう。
バブル経済では、土地の値段が値上がりし続けますから、B氏はその土地を買い、更に高い値段でC氏に売却します。
C氏も、その土地の値段が上がることが分かっているから、やはりその土地を買い、D氏に売却します。

このように、「土地」が家を建てたり商店を建てたりするためではなく、転売して利益を得るために転売され続ける状況。これが「バブル経済」です。

バブル経済が始まったのが、1985年。当時の経済はアメリカが中心でした。レーガン大統領の時代です。

ちなみにレーガン大統領の前の大統領がジミー・カーター氏。
カーター大統領のときに起こったのが「オイルショック」です。米国は、このオイルショックが原因で大不況に見舞われ、紙幣の価値が著しく低下する、「高インフレ」の状態へと陥ります。

この高インフレを抑制するために、カーター政権では、金融の引き締めを図り、「高金利」政策を取ります。

このせいで、世界中のお金がアメリカに集中し、アメリカ経済は過度なドル高へと陥ります。
ですが、実際にこの高金利政策のおかげで、アメリカ経済は不況状態を脱します。

しかし、ドル高に頼った経済政策ですので、輸入ばかりがふくらみ、米国内の製品が他国に売れない。
所謂「貿易赤字」に陥ります。

この「貿易摩擦」を改善するために当時のG5(アメリカ、日本、イギリス、ドイツ、フランス)で合意された内容が、「プラザ合意」です。特に、日本に対する貿易赤字が酷かったですから、事実上日米の為替レートを「円高・ドル安」に、国際社会が協調して誘導することの意を目的とした合意です。今考えると、とてもひどい話です。
当時1ドル240円だった為替レートは、一気に1ドル120円まで進行します。

当時の日本の首相は中曽根康弘氏。プラザ合意で、当時の中曽根首相は、

「日本の内需を拡大します」

と国際公約します。中曽根氏は、

・それまでの緊縮財政を一転して公共事業拡大政策
・法人税を42%→30%に、所得税率を、最大70%から40%に引き下げ


という政策を行います。このことで、税収は、国家税収の1/3が消滅するほどまでに落ち込むのですが、代わりに富裕層が自由に使えるお金が増えます。

このお金が株や土地に回されたことで、「バブル経済」がスタートします。

批判もあるかもしれませんが、しかしこの時の中曽根氏がとった政策は、現在の日本経済が見習うべきところがあるのかもしれません。

「バブル」はなぜ崩壊したのか。

さて。では「空前絶後」とまで言われる好景気を築いたこの「バブル経済」。一体なぜ崩壊したのでしょうか。

バブルが崩壊した、とされる理由には、実は二つあります。
一つが、「冷戦構造の崩壊」。そして、「総量規制の実施」。この二つです。

バブル経済は、1989年12月まで続きます。
この年、年末の最後の株式取引が行われる日である「大納会」で、所謂日経平均株価は、まさしく「空前絶後」。史上最高値を付け、30年近く経過した今でも、その株価が破られたことは一度たりともありません。

というよりもむしろ、年が明け、取引が開始された「大発会」以来、徐々に、徐々に株価は値下がりを始めるのです。

株価が空前絶後の高値を付けた1989年12月。
月初、欧州地中海にある、「マルタ共和国」というところでは、重要な会談が行われていました。

同年。ヨーロッパでは、ポーランド、とハンガリー、チェコスロヴァキアと、いわゆる「東欧」と呼ばれた国々の共産党政権が次々と倒され、東ドイツ・西ドイツでは11月、「ベルリンの壁」が崩壊します。

「東欧」と「西欧」の対立を象徴とする、「東西冷戦構造」が次々と崩壊していく、まさにその真っ只中にあったのです。

1989年12月初。「東欧」の代表的存在であるソ連のゴルバチョフ書記長。そして、「西欧」の代表的存在である米国のジョージブッシュ大統領。両者の間で執り行われたのが「マルタ会談」。

この会談で調印式が行われたことにより、ついにあの「東西冷戦構造」は崩壊し、冷戦は終結を迎えたのです。

さて。では、この「東西冷戦構造」が崩壊したことと、日本のバブルが崩壊したこと。この両者の間には、いったいいかなる関係があるのでしょうか。

「小心者」が崩壊させた日本のバブル経済。
次回は東西冷戦構造の崩壊以降、いったいいかようにして日本のバブル経済が崩壊していくのか。この様子を記事にしたいと思います。

このシリーズの過去の記事
>> 第12回 「冷戦の終結」と「バブルの崩壊」
このシリーズの新しい記事
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