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この記事のカテゴリー >>「物価」の見方


今回は少し話題を変えまして、「経済」に関連した記事を掲載したいと思います。

タイトルにある通り、「消費者物価指数」に関連した記事です。
先月末、2016年11月分の消費者物価指数も公表されてはいたのですが、10月までの記事内容と大きく変わり映えがしないこともあり、11月分の内容にしては記事にしていません。

で、改めて今回記事にしようと思った理由としては、勿論単純にこれまで消費者物価指数の動向を記事にしてきたから、という理由も勿論あるのですが、最大の理由としては、これまで日本の「消費者物価指数」の推移について足を引っ張り続けていた「エネルギー価格」の動向が変化したからです。

今年度に入って改善傾向にはあったのですが、それでも「前年同月比」で見るとやはり「マイナス成長」という傾向に変化はありませんでした。

勿論「エネルギー価格」とは、その大部分が輸入物価の動向であり、仮にこの部分が増加したとして、日本国内ではどの企業にもメリットはありませんし、利益も生まれません。

ですから、本来であれば低ければ低いほど良いわけですが、それでも「消費者物価」全体を引き下げるほどの影響を発揮し続けられると、「安倍内閣も日銀も、物価上昇を目指すと言ってばかりいるが、一向に改善されないじゃないか!」などという誤った評価に餌を与えることになってしまい、このことが「期待インフレ率」の下落につながってしまいます。

「景気」っていうのはやはりみんなが「ひょっとして自分たちの生活はよくなっているんじゃないか」と思ってくれた方が、やっぱりよくなるんです。ですから、せめて適正な評価が行えるようにするためにも、分析屋の私としては、非常に待ち焦がれていた状況ではあります。

と言うことで、まずは「12月消費者物価指数(総合)」前年同月比を見てみましょう。

総合
10月 0.1
11月 0.5
12月 0.3

生鮮食品を除く総合
10月 -0.4
11月 -0.4
12月 -0.2

持家の帰属家賃を除く総合
10月 0.2
11月 0.6
12月 0.4

持家の帰属家賃及び生鮮食品を除く総合
10月 -0.4
11月 -0.4
12月 -0.2

食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合
10月 0.2
11月 0.1
12月 0.0

「物価」

10月、11月の「総合」がプラスで推移している理由はこちら。

食料
10月 2.3
11月 3.6
12月 2.5

生鮮食品
10月 11.4
11月 21.6
12月 13.8

生鮮食品を除く食料
10月 0.6
11月 0.5
12月 0.5

生鮮食品の高騰によるものです。

12月も同様と言えば同様なのですが、詳細は後の「品目別」の項目で解説していきたいと思います。

上の数字の中で、「持家の帰属家賃を除く総合」という項目について。
「持家の帰属家賃」とは、「もし自分が持っている家が持家ではなく賃貸住居であった仮定したら家賃はいくらか」という架空の数字に基づいた「物価」であり、本来はカウントする必要のない数字です。

この数字を除くか除かないかで「総合」の数字が前年比で0.1%も変化していることがわかると思います。
ちなみに「持家に帰属する家賃」とはこのような推移になります。

住居
10月 -0.2
11月 -0.2
12月 -0.2

持家の帰属家賃を除く住居
10月 0.2
11月 0.2
12月 0.2

家賃
10月 -0.4
11月 -0.4
12月 -0.4

持家の帰属家賃を除く家賃
10月 -0.4
11月 -0.4
12月 -0.4

「持ち家の帰属家賃」という数字は私が現在見ている統計表には掲載されていませんが、おそらく前年同月比で-0.4%。
「家賃」も含めた全体の「住居」の数字をこの「持家に帰属する家賃」が大きく引き下げていることもご覧いただけると思います。

また一方、「物価」全体の数字が1万であった場合のシェア率のことを「ウェイト」というのですが、この「ウェイト」の内、もっとも大きな割合を占めるのが「食料」。

同じ食料でも「生鮮食品」のウェイトが414(414/10000のシェア率)であるのに対し、「生鮮食品を含まない食品」のウェイトは2209であり、「物価」全体に最も大きな影響を与えています。

物価「総合」の中には、前記している様に、

「総合」
「生鮮食品を除く総合」
「持家に帰属する家賃を除く総合」
「持家に帰属する家賃及び生鮮食品を除く総合」
「食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」

という5つの項目があり、このうち

「総合」のことを「CPI」、
「生鮮食品を除く総合」のことを「コアCPI」、
「食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合」のことを「コアコアCPI」

と呼称し、政府データとしてはこの3つの数字が重要視されています。

そしてこの3つの指標、その他2つを合わせて5つの指標の内、今年度中足を引っ張り続けた「エネルギー価格」が除外されている指標は「コアコアCPI」だけなのですが、この指標からは「物価」に対して最も大きな影響を与えるはずの「生鮮食品を除く食料」の項目までもが除外されています。

前記しています通り、天候の変動を受けやすい「生鮮食品」を除外した、「生鮮食品を除く食料」は

10月 0.6 %
11月 0.5 %
12月 0.5 %

と、特に10月と12月に関してはCPI全体の昨対を上回る上昇幅を示していますから、これを除外して「物価」を見るのもおかしな話です。

ということで、この様な総務省データのウィークポイントを完全克服した「生鮮食品及びエネルギー価格を除く総合」という指標を日銀が公表しているのですが、残念ながらこの「日銀版コアCPI」は総務省データよりも遅れて公表されます。

私たち日本国民が、本当の日本国経済の状況を知るために、とても大切なデータだと思うのですが、何とかなりませんかね、このいびつな状況・・・。

ということで、政府が発表している「消費者物価指数」の見方を少しおさらいしてみました。


平成28年(2016年)12月10大費目別消費者物価指数

さて。私が重要視している「物価指標」はこちら。「10大費目別消費者物価指数」です。

食料(2623)
10月 2.3
11月 3.6
12月 2.5

住居(2087)
10月 -0.2
11月 -0.2
12月 -0.2

光熱・水道(745)
10月 -6.0
11月 -5.8
12月 -4.8

家具・家庭用品(348)
10月 -1.0
11月 -0.7
12月 -1.0

被服及び履物(412)
10月 1.2
11月 1.0
12月 0.6

保健医療(430)
10月 1.0
11月 0.9
12月 0.8

交通・通信(1476)
10月 -1.7
11月 -1.5
12月 -0.7

教育(316)
10月 1.5
11月 1.5
12月 1.5

教養娯楽(989)
10月 1.0
11月 0.8
12月 0.5

諸雑費(574)
10月 0.7
11月 0.4
12月 0.3

ちなみにこのうち、「エネルギー価格」の動向は以下のようになっています。

エネルギー(784)
10月 -7.9
11月 -6.7
12月 -4.4


全体的に、上昇幅に鈍さが見えはするものの、基本的にプラス幅を示していることが分かります。
10月までの昨対と全体的な傾向としては変わっていませんね。

ですが、「住居」に関して言えば、前述していますように「持家に帰属する家賃」を除けば

10月 0.2
11月 0.2
12月 0.2

と、順調にプラスで推移していますし、「ウェイト」で考えますと、「住居」が全体で「2087」という数字であるのに対して、「持家に帰属する家賃」のウェイトは「589」。

つまり、その差額1498分は「持家に帰属する家賃」のウェイトだということになります。
ですが、既に前述した通り、「持家に帰属する家賃」とは、本来存在しないフィクションの数字です。

この統計指標はっきり言って異常だと、私は思います。

そういえば、日銀CPIからはこの「持家に帰属する家賃」は除外されているんでしょか。本来この数字も除外すべきものだと思います。

つまり、実数として昨対でマイナスを記録しているのは「光熱・水道」、「家具・家庭用品」、「交通・通信」の3つ。
これ以外の費目は全てプラス成長している。これが我が日本国の「物価動向」ですね。

さて、この中でも特に「光熱・水道」及び「交通・通信」は「エネルギー価格」の動向が絡んでくる要素です。
次回記事では、この二つの項目、及び「家具・家庭用品」の動向について検証してみたいと思います。


この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第256回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑧

さて、それでは日本国内に於ける軍部と外相間での協議内容から改めて本筋、「日米諒解案」へと移りたいと思います。

記事内容いたしましては、第251回 よりの引き続き。復習がてら、「日米諒解案6月21日米国対案」を再掲いたします。(長くて読みにくいですから、一旦は読み飛ばしてください)

【米側対案(6月22日在米大使取次)】
(極秘)(非公式、試案にして拘束力なし)
合衆国及日本国政府は伝統的友好関係の回復の為共同宣言に於て表現せらるるが如き了解に関する一般的協定の交渉開始及締結の為に共同の責任を受諾す

両国国交の最近の疎隔の特定原因に論及することなく両国民間の友好的感情悪化の原因となる事件の再発を防止し且其の不測不幸なる結果に付矯正を図ることは両国政府の衷心よりの希望なり

共同の努力に依り合衆国及日本国が太平洋に於ける平和平和を樹立及保持のため友好なる貢献を為すこと及し友好的了解を速かに完成することに依り世界平和を助長し且文明を覆没せんとする惧ある悲しむべき混乱を假令一掃せしむること不可能なりとするもなるに之が悪化を抑制せんことは両国政府の真摯なる希望する所なりとす

斯かる果断なる措置の為には長期の交渉は不適当にして又果薄弱なり、仍て両国政府は両国政府を不取敢道義的に且其の行動に関し拘束すべき一般的了解を成立せしめ之を完成する為にはを適当のなる手段を案出実施することを希望す

両国政府は斯る了解には緊急を要する枢要問題のみを包含せしめ後会議の審議に譲り得べき附随的事項は之を含ましめさること然るべしと信ず

両国政府間は左記の如き特定の付事態を明瞭にし又は之を改善するに於ては融和関係の達成を期待し得べしと認む

 一、国際関係及び国家の本質に関する合衆国及日本国の日米両国の観念

 二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 三、日支間の和平解決に対する措置

 四、両国間の通商

 五、太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 六、太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国政府の方針

 七、比律賓群島の中立化

因て合衆国政府及日本国政府は並に左の相互的了解及政策の宣言に到達したり

一、国際関係及び国家の本質に関する合衆国及日本国の日米両国の観念

 日米両国政府は相互に其の国策は永久的平和樹立並びに両国民間の相互信頼及協力の新時代の創始を目的とするものなることを確認す

 両国政府は各国家及民族が正義及衡平に依る萬邦協和の理想の下に存在する一宇を為すとは其の伝統的及現在に於ける観念及革新なることを声明す

即ち平和的手続に依り規律せられ且精神的及物質的福祉の追及を目的とする相関的利害関係に基き何れも等しく権利を共有し責任を容認す

而して右福祉たるや各国家及民族が他の為に之を毀損すべかざるが如く自らの為に之を擁護するものとす

更に両国政府は他の民族の抑圧又は搾取を排撃すべき各自の責任を容認す

 両国政府は国家の本質に関する各自の相互に両国固有の伝統的観念並びにに基く国家観念及社会的秩序及び並に国家生活に関するの基礎的たる道義的原則は引き続き之を保存持すべく且右道義的原則及び観念に之に反する外来思想又は「イデオロギー」に依り変改せしめの跳梁を許容せざることを固くの鞏固なる決意を有す

二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 日本国政府は三国条約の目的が過去に於ても又現在に於ても防御的にして挑発に依らざる欧州戦争の拡大防止に寄与せんとするものなることを闡明す

 合衆国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に亙り防護と自衛即ち自国の安全と之が防御の考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す

注、(1941年5月31日案の一部を成せる本問題に関する合衆国政府の付属追加処の代わりとして並びに交換公文の試案添付せらる)

三、日支間の和平解決に対する措置

 日本国政府は合衆国政府に対し日本国政府が支那国政府との和平解決交渉を定義すべき場合に於ける基礎的一般条件即ち日本国政府の声明するところに依れば善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則並びに右原則の実際的適用に矛盾せらるものなる条件を通報したるを以て合衆国大統領は支那国政府及び日本国政府が相互に有利にして且受諾し得べき基礎に於いて戦闘行為の終結及平和関係の回復のための交渉に入る様支那国政府に慫慂すべし

注、(第三項の前期案文は共産運動に対する共同防衛問題(支那領土に於ける日本軍隊の駐屯問題を含む)及日支間の経済的協力の問題に関する今後の討議に依り変更せらることあるべし、第三項の案文修正の定義に関しては如何なる修正案も本校に関し付属書に掲げられたる一切の點が満足に起草せられ本稿及付属書が全体として検討し得るに至りたる上にて考究すること最も好都合なりと信ず)

四、両国間の通商

 本了解が両国政府に依り公式に承認せられたるときは合衆国及日本国の一方が供給し得て他方が必要とするが如き物資を相互に供給すべきこと保障すべし

両国政府は嘗て日米通商航海条約に基づき確立せられ居りたるが如き正常の通商関係を回復せしむるに必要なる措置を講ずことに同意す、若し新通商条約が両国政府により希望せらるるときはときは右は出来得る限り速かに交渉せらるべく且通常の手続きに従い締結せらるべし

五、太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 太平洋方面に於ける日本国及米国の活動は平和的手段に依り且国際通商関係に於ける無差別待遇の原則に遵い行はるべしとの並に為されたる相互的誓役に基づき日本国及合衆国政府は南国が夫々自国経済の保全及発達の為必要とする天然資源(例えば石油、護謨、錫、「ニッケル」)等の物資の商業的供給の無差別的均霑を受け得る様相互に協力すべきことを約する

六、太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国政府の方針

 両国政府は本了解の基調を為す支配的方針は太平洋地域に於ける平和なること、協力的努力に依り太平洋地域に於ける平和の維持及保全に貢献するは両国政府の根本目的なること並びに両国両国の何れも前記地域に於いて領土的企図を有せざることを声明す

七、比律賓群島の中立化

 日本国政府は合衆国政府が希望する時期に於て合衆国政府と比律賓の独立が完成せらるべき際に於ける比律賓群島の中立化のための条約締結を目的とする交渉に入る用意あることを声明す

6月27日に行われた第34回懇談会の内容 で、松岡の発言として、

『全面和平の為重慶と直接交渉は見込みなし、従って大きく包囲してやる要アリと判断し、「ソ」とも中立条約を作り、独に対しては頼みはしなかったが之と手を握り唯残るは米国のみとなった。よって米国に対し対欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」を出した。

帰京後米国の返事を見た所、本職の考えと違って居った。変なものになったのは中間に人が入ったからだ』
とあります。

ここにある「米国の返事」こそ、前記した「米側対案」の内容です。
また、松岡より発信した『対欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」』とは第250回の記事 に掲載した「松岡修正案」ですね。

つまり松岡が自身の修正案に託したのが、

1.「米国が欧州戦、中国戦に参加しないこと」
2.「蒋介石支援をやめること」

この二つのメッセージであったわけですが、ハルより送り返された米国対案には、松岡の意図したものとは全く異なる内容が記されていたと、松岡は少なくともそう受け止めたわけです。

交渉は野村大使が行っていたわけですが、野村大使が松岡の真意をくみ取って交渉することができず、結果的に松岡が望んだものとは違う結果に至った。松岡自身が交渉していればこんなことにはならなかったのに・・・というのが松岡の見解です。

『数日前米国から返事が来たが実に妙なものだ。勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない。
結局最後に米国をつかむことに狂を生じた』

とあることから、松岡はこの時点で米国を「交渉」によって「参戦させない」という方法を半ばあきらめたのではないかと思われます。
つまり、この間の交渉がうまく行っていさえすれば、『たとえ南部進駐を行ったとしても米国を参戦させないだけの自信はあった』と暗に言っているのではないかと思われます。

ところがこの交渉はうまく行かず、更にドイツがソ連に対して戦争を仕掛けた。

日本が対ソ参戦をする口実が生れたため、早急にドイツに対する支援を表明し、極力早く中国北方を占領・駐軍し、北側から中国に圧力を加えることで日中戦争を終結に向かわせる・・・という方法を考えていたのかもしれません。

南側は、少なくとも「北部仏印」に関しては進駐しており、軍事拠点も構えているわけですから、英米と開戦状態にさえならなければここにそれほどの兵力を割く必要もありません。南部進駐を行わない限り、英米と開戦状態に陥ることまではないわけですから、北側に集中することができます。

そして、対ソ戦を行い、北側から中国に対して圧力をかけるために必要な領土を占領するまでの時間であれば米の参戦を外交によって阻止する自信はある。

よって南側よりも北側をまずは優先すべきだ・・・というのが松岡の理屈です。

ところが、軍側とするとそういう発想はありませんから、「北に進軍するということは即ち『米英中』に加えて『ソ』をも敵に回す」という発想から松岡に反論します。

連絡会議によって上記した米側対案に対し、日本側の見解が示されるのは7月10日のことになりますので、冒頭では『日本国内に於ける軍部と外相間での協議内容から改めて本筋、「日米諒解案」へと移りたいと思います』と示したのですが、7月10日に向けて、もう少し日本国内での「南進論」V.S.「北進論」について記事にしたいと思います。

一旦記事を分け、次回に委ねます。


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<継承する記事>
第255回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑦

前回の記事では、「第32回大本営連絡懇談会」が開催された1941年6月25日までで、「南方施策促進に関する件」について、6月25日の段階では「すぐに行うべきだ」と即答した松岡が、その翌日の「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」の懇談会ではなぜ前日の内容とは真逆の発言を行っているのか、この矛盾点について、第32回以前の懇談会の議事録を追いかけることで検証してきました。

この内容、現在は松岡にスポットを当てて検証していますが、本当はそれよりも更に遡って、特に陸軍が南部仏印進駐を推しているのか、というところまで検証すべきなのだと思います。

松岡自身も、第34回大本営政府連絡懇談会 に於いては、

「昨年暮迄は南を先に次て北と思って居った。南をやれば支那は片付くと思ったが駄目になった」

と発言していることから、少なくとも「昨年(1940年)暮」までは南部仏印進駐を急ぐべきだ、と考えていたことが分かります。
つまり、前回記事にした、第30回懇談会以前の「南方施策促進に関する件」についての話し合いの中にこそ、日本が南部仏印進駐に至った本当の理由が隠されているのだとは思います。

ただ、私が現在参考にしている、「公文書に見る日米交渉~開戦への経緯~」に於いては、この「南方施策促進の件」について、これ以前の資料は掲載されていませんので、今回は確認できる資料の中から、特に松岡にポイントを絞った記事を作成していきたいと考えています。

前回の記事において、「第32回大本営政府連絡懇談会」の議事録を掲載することをお示ししました。
一度記事にした「第32回大本営政府連絡懇談会」について再度記事にする理由としては、確かにこの懇談会に於いて「南方施策促進の件」のことが話し合われているのですが、同じ日に、「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」についても話し合われていたことが理由です。

最初見たときはそこまで気が回らなかったのですが、外交文書も読みなれてくると少しずつ古い言い回しに対する抵抗感が取れてきますね。

それでは、「第32回大本営政府連絡懇談会」について、改めて全文掲載したいと思います。


第32回懇談会

6月25日第32回連絡懇談会
『南方施策促進に関する件』並『情勢の推移に伴う国策要綱」に関する件

1.出席者 両統帥部次長特に出席す
2.先ず南方施策促進に関する件に就き参謀総長説明をなし之を可決す
依って午後三時臨時閣議を開き、別に準備せるもの(武力関係を除く)を総理より朗読し閣僚の質問を受けて閣議決定となし、午後4時より総理両総長列立上奏することに決す
3.前項審議の概要

外相
御説明案は結構だが之によると今迄何もやって居らぬ様に思われる書方だが今迄もやって居る様に申し上げて呉れ。
軍事基地港湾等のことは既に交渉をやって居る。独に「ヴシー」を威迫し軍事基地設定を容認する要云うた所「リ」より強威を加うることは出来ぬ旨返あり、従って日本独力でやると大島に伝え置けり

「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、臨時閣議開催は刺激するかもしれぬが時局柄已むを得ず」との外相の意見により午後3時臨時閣議を開催することに決す

外相
実行に方りては統帥部と充分連絡し、外交と軍事との緊密なる連繋を保持致したい、軍隊集合せば外交は電撃的にやる如く統帥部と連絡致したい

参謀総長
大命拝受より軍隊集合までには20日を要す

外相
承知しあり

(参謀次長本件に関する限り外相は大いに気合を入れてやるものと感取す)

4、次て外相三国同盟と中立条約との関係に就き独伊「ソ」対しに対し話したる内容を披露す。

要旨左の如し

三国同盟は中立条約が出来ても之に依り左右せられ或は影響を受くるものにあらず。
この見解に就いては外相帰朝後発表セリ、而も「ソ」より何等変電来あらず。実は独「ソ」戦わぬと思ったから中立条約を結んだのであって、独「ソ」戦う様な状況ならば中立条約など結ばずにもっと独と仲好い行動をとりたかった

「オットー」には条約の文句に拘らず同盟を堅持す、何かやる等のことは必要なに応じお話しすると云うておいた

「ソ」大使は右に述べた趣旨に沿い話しておいた。


「ソ」連大使は右外相の言に対し如何なる感想を受けたと判断するや

外相
日本は冷静だがどうも何んともはっきりせぬと言うたからそう思ったのだろう


日本は三国同盟に忠実で中立条約には不忠実だと思わなかったろうか

外相
それほどには響かんと思う、尤も中立を破る等の話はして居らぬ

(外相の説明を聞き次長は「ソ」連大使が中立条約は駄目だと受け取ったものと判断す)

外相
「オットー」には何も正式には云うて居らぬ。早く国策を決めたい、「オットー」は盛に極東兵力の西送を云うて居る

陸相/参謀次長
極東兵力の西送の件は、独に取り強くひびくだろうが日本に取っては寧ろ小さく感ぜられるのは当然なり
独のことばかり信用するのは不可なり

海相
将来の外交上の参考の為海軍として一言す
過去は問わず、国際情勢微妙なる関係にある現在総帥部に無断で遠い先のことまでしゃべるな。海軍は対英米戦には自信あれども、対英米「ソ」戦には自信なし
米」「ソ」決して、米が極東「ソ」領に海軍基地航空基地無線測定処等を作り、或は「ウラジオ」の潜水艦が米に移譲せらるる様な事にでもなれば、海軍作戦としては極めて困る
この如き状態にせぬ為には「ソ」も攻撃しろ、南方もやれと云う様な事は云うな
海軍は「ソ」を刺激することは困る

外相
米英とやるのは辞せずというのに「ソ」が入ったとてどうして困るのか

海相
「ソ」が入れば一国増えるではないか
何れにしてもあまり先走った事を云うな

外相
今迄俺がそんな事を云うた事があるのか、それだから国策の大綱を早く決めよと云うのだ

5.右の会談動機となり国策要綱に就き話を進む
参謀総長陸海軍決定案の要旨に就き口頭を以て説明し「外相は積極論を唱うるも、陸軍の軍備充実未だ完全に出来居らず、支、北、南三方の条件によって始めてやれるのである、例えば極東に動乱勃発、極東兵力の西送、「ソ」連政権の崩壊等の情勢になったらやり得るのである。「ソ」と過早に戦えば米が之に加わることあるを以て気を付けねばならぬ

外相
独が勝ち、「ソ」を処分するとき、何もせずに取ると云う事は不可。血を流すか、外交をやらねばならぬ。而して血を流すのが一番宜しい。「ソ」を処分するとき日本何を望むかが問題なり。
独も日本は何をするかどうかと考えて居るだろう
「シベリヤ」の敵が西へ行ってもやらぬのか
牽制くらいやらねばならぬのではないか

陸、海相
牽制にも種々あり、帝国が厳として居ることが既に牽制ではないか、こう云う風に応酬しないのか

外相
兎に角どうするか早くきめて呉れ


何はともあれ先走るな

外相は総長の説明するものには大体同意なるが「ソ」とやれば米が入ると云う点が分からぬと述ぶ。

以上にて閣議開催の時間となり明日10時より会談を続行することとし散会す

南方施策に関しては、既に記載しています通り、非常にスムーズに話し合いが終結しています。

内容を読むと、この時点で外務省はヴィシー政権に対して圧力をかけてほしい、とする交渉をドイツとの間で行っていることが分かります。ドイツからはこれに「難しい」とする返答があり、南部仏印進駐に関しての交渉は日本が単独で行わざるを得なくなった、とあります。

進駐そのものについても、外務省の言葉として、「軍隊集合せば外交は電撃的にやる如く統帥部と連絡致したい」とあります。

既にドイツとの間では交渉も終わっているし、ヴィシーと直接交渉することも大使には伝えている。
今更「やらない」というわけにはいかない。けれども腹の内では・・・といったイメージでしょうか。

後日の懇談会に於ける内容から、松岡は「南仏に進駐すれば米英と開戦となるかもしれない」けれども、「ソ連に攻め込み、短期に決着を付ければ米が参戦することはない」と言っています。

今回の懇談会に於いて、

「外相は総長の説明するものには大体同意なるが「ソ」とやれば米が入ると云う点が分からぬと述ぶ」

とした点に於いて、松岡は「南部仏印進駐を後にし、北を先に攻めればむしろ『米』が入ることはない」

と踏んでいたのでしょうね。

一方で軍部、特に海軍からすれば、松岡が国外に於ける話し合いで、軍部による会議の上を飛び越えて次々と話し合いを進めてくるもんだから、「こちらの事情も組まずに次々と決めてくるのはやめてくれ」という意図が各所で登場します。

軍部としては、松岡のような発想はしておらず、「南部仏印進駐」を行えば、その可能性の中に対英米開戦が想定されており、「同時に」北を攻めれば、もし万が一英米開戦となれば、同時に「ソ連」「中国」まで含めた4カ国を相手にしなければならなくなる・・・と考えていたわけです。

つまり、松岡の中にある、「北か、南か」という選択肢ではなく、軍部は「(中国を含めた)4カ国」を相手にするのか、それとも「3カ国」を相手にするのかという選択肢から選ぼうとしていたのですね。

また、武力を用いず、平和的に進駐すればひょっとして英米は攻めてこないのではないか、という選択肢も含まれていましたから、「対中戦」をやめないという前提の中で、最良の選択肢は「南だ」というのが軍の考え方。

松岡は、「南を一時放置したとしても、先に北を相手にすれば少なくとも『対米』開戦となることはない」と考えていたわけです。

結果的に松岡は事実上更迭され、松岡案は採用されませんでした。
松岡が外務大臣という役職を引いた後、軍部の想定通りヴィシーとの交渉は無事妥結され、武力を用いずに「南部仏印進駐」を完成させるわけですが、発展した国際関係は松岡の想定した「最悪」の道を歩むこととなったのです。


「南方施策方針に関する件」について松岡がその考え方を変更させるに至った経緯としては、凡そ私の「推測」の上での事項ではありますが、この様な経緯で変化したのではないかと考えられます。

次回記事では、改めまして「日米諒解案」の内容が変化する経緯に着目し、最終的に「ハルノート」を検証することで日本が「真珠湾攻撃」を行うに至った経緯を検証できればと考えています。


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第254回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑥

前回の記事を作成する段階に於いて、松岡が「決まった以上早くやるべきだ」とした「南方施策方針に関する件」について、実は松岡は元々賛成してはおらず、2週間の間軍部よりその説明を受け、漸く賛成する側に考え方が変わった、ということが分かりました。

今回の記事では、「南方施策方針に関する件」について、松岡が一体その考え方をどのような流れで変化させていったのか、大本営政府連絡懇談会議事録を追いかける形で検証してみたいと思います。

先ずは松岡が軍部より初めて「南方施策促進に関する件」を聴かされた件から。
双方のコメントを全文掲載します。

【6月12日第30回大本営連絡懇談会】
南方施策促進に関する件

1.軍令総長「南方施策促進に関する件」を説明す
此の際軍令部総長は仏印が応ぜざる場合並英米蘭が妨害したる場合武力を行使することに関し強く協調セリ

2.右に就き議論す、概要左の如し
外相
進駐の言葉は新しく出て来たから今返事は出来ぬ。而し永野総長の説明を聞いた所の思付のことを云えば、この進駐は軍事占領となる、此の占領が仏印に如何なる影響を与えるか、既に仏印の保全に就てはこの前の紛争調停の時日本側に於て表明しある所なり。

仏印側として果して承知と云うかどうか、特に兵力を進駐せしむることに就いては承知するかどうか疑問と思ふ。
こちらが軍事占領と考えなくても適性を持つ英米としては軍事占領と考えふべく、特に英国との衝突を促進することとなるにあらずや。

此の様な点を考えれば進駐と云うことを加えて交渉すれば交渉は成立せんと思う。従って先ず空軍及び海軍の基地を造ることを第一段に交渉し、進駐は第二段に話出してはどうか。最初から進駐を出すことは成立が難しいと思う

参謀総長
既に軍令部より説明ありたる如く最初から軍事占領をするのではない、いかぬ場合にやるのだ、英米側が軍事占領と思うても何等遠慮する必要なかるべし。空軍海軍の基地を交渉することは既に今から半年前決定したことをやるのに過ぎない。今日の状況は変って居る、最早手ぬるくやる必要なし。

外相
進駐の目的如何

参謀総長
仏印の保全と他方支那及南方に対する威圧効果を収めんとするに在り

外相
最初からそんな事を云うては相手は聞かぬだろう

武藤局長
航空基地は兵力なくては出来ぬ、兵力の進駐に依り飛行場は早く出来るのである

外相
それだけの兵力に止め、その他の兵力は後にしてはどうか

参謀総長
そうは出来ぬ、北仏の時も後から駐兵せしむることは難しかった。此度の駐兵は飛行場の為ではない

等の意見交換あり、外相は今日は考えさせてくれと述う


武力行使をやると云うことに就て不同意なのか、同意なのか

外相
不同意にあらず、但此の交渉を進める上に於て進駐を真向に出すことは話を進め難い。趣旨は可なるも第1項の(進駐せしむることを含む)は之を削除し度い、また第二第三項も削除し度い、右削除事項は了解事項に止め度。尚進駐などと云うことは秘密が洩れては大変である


不同意ならば別であるが然らざれば諒解事項などにしておくのは不可、一切秘密を守ることにし本案の如く決定し、諒解事項として次の三項を加えることにしては如何

(1)最後的には本案の通り実行することとす
(2)進駐は其準備相当の日時を要するを以て二段に区分し交渉するも支障なし
(3)第一段の交渉終らば機を失せず第二段の交渉を進む

右に依り全員の同意を得、諒解事項を附記し本文に「サイン」をなし、内閣に一部のみ残し他は機密保持上全部これを回収せり

外相
交渉は何時頃迄に成立せしめ度いのか

参謀総長
成るべく早く成立せしめ度、期限は定めない

外相
実際上にあらわす成文は更に考え様

本日は陸海軍大臣は一言も発言せず 海軍側は軍令部総長相当強く説明したるも、海相は平素比較的多く発言するに反し本日は一言も発言せず

このやり取りから推察しますと、この会議に参加した面々の内、南部進駐に反対する側からの意見を述べたのは松岡のみ。
残る面々は全て軍部よりの意見の持ち主で、松岡がどうも軍部に意見を押し切られた様子が見えてきます。

同日記された「機密戦争日誌」によりますと、どうもこの「南部仏印進駐」を強く推していたのは陸軍で、海軍もまたこの決定が「対英米戦」の決意なしにはできないことを理由として渋っていた事が分かります。

同じ内容で約半年間議論していたのだそうですよ。

引き続き、6月16日、第31回連絡懇談会が開かれます。

【6月16日第31回連絡懇談会】

第31回連絡懇談会

南方施策促進に関する件

要旨
外相より
仏印に進駐したる場合に起り得べき帝国の不利最悪の場合に就き再考せられたい。大島より独側から「ヴシー」を指導する様要望したる所、大島より「ヴシー」が進駐不同意と云うた場合に帝国の態度承りたいと反撃し来れり。

連絡会議に於て種々話ありしも、昨日一日朝三時まで考えたるも、進駐は国際上不信を免れぬと思う、従来国際信義なしと云わるる帝国としては此の点考えなければならぬと思う。独「ソ」情勢の緊迫せる今日、此の如き進駐は如何かと再考する必要あり。此の進駐が不信にあらずと外相として説明出来る迄再考いたしたく、又各位におかれても考え置かれたい

と発言あり。何等決定に至らず散会す、細部に関しては次の如き問答あり

1.細部の問答要旨
外相
進駐となれば昨年8月31日の松岡「アンリ―」協定は破棄となり、従って北仏の駐兵も無効となる。軍事上の基地を造ることはともかく、進駐と云うことになれば独が手を入れて呉れない限り仏も自己の領土に兵を入れることに応諾せざるべし。

仏側から言えば軍事占領となるを以て、95%迄は承知せんと思う。又之に依り先日調印せる調停条約及経済協定等の取極も破棄となり、其影響は蘭印泰にも及び、蘭印は勿論泰からも予期しある「ゴム」二万屯錫三千屯米等も来なくなるだろう。

以上は最悪の場合にして、常に之が全部とは思わぬが、此の如き場合も考慮せねばならぬ。

大島の電報に依れば独「ソ」は来週開戦すると云むて居り、此の如き場合は世界大戦争となり、「ソ」英は同盟し、米は英側に立ちて参戦すべし、此の様な情勢も十分考慮せねばならぬと思う。

特に進駐は帝国として一大不信行為をやることになる、国家の生存上已むを得ぬと云えば云えるかも知れぬが、何れにしても一大不信行為と云わなければならぬ。

海相
今迄の仏印、泰に対する帝国の考えは

参謀総長
変らぬ、進駐することに依り英米の圧迫から仏印を防ぐのだと云うことを諒解せしめれば応諾するにあらずや

外相
然り。然れども「ヴシー」が進駐に応ぜざる場合、これを押切って進駐することは不信なり。此の前の条約批准もすまぬ、武力を行使するも進駐することは不信なり。日本は国際的に不信義と云われておる、外務大臣一人にても此の信義を通したい。無理に進駐することが進駐と云わずしてすむや。

外務大臣として率直に云えば、陛下に之は不信なりと申し上げざるを得ず。

進駐の準備は幾何かかるや、軍事基地は幾何の日数を要するや、軍事基地は何時までにできればよいか。

参謀総長
準備は約20日間、飛行場は二乃至三月、現在飛行場あるも商業用にして重爆撃機の為には舗装するを要す、又大編隊の為には拡張するを様子。進駐を7月中に終り8、9、10月を飛行場の整備に充当するを要す。進駐の為には支那より兵力を転用し、又船舶を集める必要あり。彼の地はやがて雨期に入る故成るべく早くするを要す。

外相
独「ソ」開戦もあり、之を検討する要なきや

参謀総長
独「ソ」開戦に方りても此の程度の施策は必要なり

海相
英「ソ」の同盟は初耳なり、此のことがあると云うならば考えても好い。而し先日決まったものを変更するのは悪いではないか

外相
俺は頭が悪く其の後考えてみたら・・・・・・


腹が変らぬか

外相
腹は変らぬ

陸相
本年中にきまりをつけねば大東亜共栄圏の看板を外さねばならぬ、準備ができたら決意を要する

外相
準備は上奏の必要ありや

参謀総長
目標なくして準備することは出来ぬ
尤も教育訓練等はできるが、兵力の移駐動員編成等は御充裁を仰がなければ或る程度しか出来ぬ

陸相
右の趣旨を更に協調す

軍令部総長
準備をやっておいて、武力を行使するときにお許しを得てはどうか

外相
陸軍はそうは行かぬ、第一次上海事変の時も上田師団長は上海到着後4,5日待った、陸軍が相当の時日を要することは分る

陸相
右に関し更に附加す

参謀総長
海南島に陸兵の集合が完了すると共に電撃外交をやる様にしたいが、此の点からも軍令部総長の言われた様にやるわけにはいかぬ

外相
何れにしても2、3日考えさして呉れ、不信にあらずと云うても自分は不信と思う。此点 陛下に上昇せざるを得ず。この点判断せざれば上奏出来ぬ。昨年「シンガポール」をやれと云うたのにやらなかったからこんな事になった上奏は何時するや、上奏のやり方も考えられたい

以上の如くして結局2、3日再考することとし解散せり

ここまでが6月16日の時点で話し合われた内容です。

そしてこの後6月25日に第253回の記事 でもお伝えしました、「第32回大本営連絡懇談会」が開催され、この場にて松岡より、

「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、随時閣議は刺激するかも知れぬが時局柄やむを得ず」

との言い回しが登場します。
6月16日から25日までの間に何があったこと言うと、まずは日蘭商会の交渉打ち切り、そしてハル長官からの「米国対案」の提出、そして「独ソ戦」の開戦です。

松岡がこれに必死に反対している理由は、軍部が「武力を用いて仏印進駐を行う」としている点です。
松岡のこの問いに対して軍部は「最初から武力を用いると言っているわけではない。仏印側が要求に応じない場合、又は英米蘭がこれを妨害した場合に武力を用いるのだ、と反論をします。

実は6月12日の時点で、既に日本には「ドイツがソ連に攻め入る可能性が高い」という情報は届いています。
「機密戦争日誌」に記された文章を読むと、軍部がこの南部仏印進駐に半ば強引な姿勢を示している最大の理由は独ソ開戦が間近に迫っていたことが一番の理由としてあったようです。

独ソ開戦に至る前に南方問題に決着を付けたかったのでしょう。

また更に、参謀総長は、松岡から進駐の目的を聞かれたとき、
「仏印の保全と他方支那及南方に対する威圧効果を収めんとするに在り」

と回答します。仏印進駐を実行する一つの目的として、第248回の記事 にも記しました様に、フランスの植民地であるインドシナが、何時かヴィシー政権ではなく、ドゴール側に寝返るのではないかという不安を解消することがありましたが、参謀総長はこの目的に加え、「中国と南方に対して威圧効果を高めることも目的の一つだ」と答えます。

これに対し、松岡は「そんなことでは余計にフランスは反発する」と答えます。
松岡は外務大臣ですから、フランスと直接交渉するのは軍部ではなく松岡です。

松岡は軍部の考え方が「武力行使」にあると考え、それではフランスとの交渉を前向きに進めることはできないと感じていたのですね。またこの前提として、この時点での海外に対する日本の評価は芳しいものではありません。

ですから、この様な状況の中で武力行使を行えば、火に油を注ぐ様なものだ・・・と松岡は言っているわけです。

ですが、軍部とすれば最初から武力を用いることは考えておらず、交渉によって進駐を進めることを考えていましたから、ここで松岡と軍部の間で対立が起きるわけです。16日の懇談会でも、松岡は盛んに「ヴィシーが日本案に同意しなかった場合どうするのか」という質問を投げかけています。

松岡が事実上罷免されるのは7月16日、ヴィシー政権との間で南部仏印進駐が合意に至るのが7月19日ですから、結局松岡がいなくなった後でヴィシーとの交渉は合意に至り、「軍事力を用いることなく」南部仏印進駐を行うこととなります。

ですが、その結果起きたことは、松岡が「南部仏印に『軍事力を用いて』進駐した場合に起きる」と想定していた内容とほぼ同じ結果が発生しました

そう考えると、松岡の先見の明には驚かされるばかりです。

さて、次回記事ではここから更に、第248回の記事 でもすでにお示ししている、「第32回大本営政府連絡懇談会」の議事録について詳細な内容を掲載したいと思います。

内容としては、「南方」の問題よりも「北方」の問題の方が中心となります。


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第253回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る⑤

さて。前回の記事 では、軍部の作成した「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」に於いて、松岡外相が噛みついてクレームを入れるシーンを記事にしました。

軍部が「南方政策を優先すべきだ」としたことに対し、松岡は「それは私の考え方とは違う」と異論を唱えたのです。
私としてはこのことが、「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」が議論される前日に松岡の意見により即日決定された「南方施策方針に関する件」と矛盾することを文末でお示しました。

松岡の考え方は果たして立った一日で変わってしまったのか、それとも独ソ開戦を受けて松岡はパニック状態に陥っていたのか、このことを別の資料にて検証することを前回の記事でお約束しました。

調べてみますと、丁度この翌日(1941年6月27日)に松岡と軍部との間で行われあt第34回大本営政府連絡懇談会によって、少しその理由が垣間見えてきましたので、この資料を中心に記事を進めてみます。

以下はこの時の松岡の発言詳細です。

情勢の推移に伴う帝國国策要綱の件(6月27日)

大島より意見具申数回あり。

その要旨は、帝国の方策は相当難しいと思うが独「ソ」戦は短期に終る、秋または本年中には独英戦は終る、過度に形成を観望するは不可なりというに在り

吾輩は夙に外交策戦計画を立案し、その後も之に就き想を練って居たのである。

独「ソ」戦発生の公算は二分の一と考えて居った所今日既に発生セリ。

今日の大本営案は概ね同意なるも、外交の見地より若干意見在り。左に従来より考えてある所を述ぶべし。

全面和平の為重慶と直接交渉は見込みなし、従って大きく包囲してやる要アリと判断し、「ソ」とも中立条約を作り、独に対しては頼みはしなかったが之と手を握り唯残るは米国のみとなった。よって米国に対し滞欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」を出した。

帰京後米国の返事を見た所、本職の考えと違って居った。変なものになったのは中間に人が入ったからだ。

数日前米国から返事が来たが実に妙なものだ。勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない。結局最後に米国をつかむことに狂を生じた。

今や独「ソ」戦が惹起した。帝国は暫く形成を観望するとするも、何時かは一大決意を以て難局を打開せねばならぬ

独「ソ」戦が短期に終わるものと判断するならば、日本は南北何れにも出ないと云う事は出来ない。

短期間に終ると判断せば北を先にやるべし。独が「ソ」を料理したる後に対「ソ」問題解決と云むても外交上は問題にならぬ。

「ソ」を迅速にやれば米は参加せざるべし

米は「ソ」を助けることは事実上できぬ、元来米は「ソ」が嫌だ、米は大体に於て参戦せぬは、一部判断違いがあるかもしれぬが

故に先づ北をやり南に出よ

南に出ると英米と戦ふ、仏印に進出する事に就ては、ともすれば英米と戦うことになるかも知れぬが、二週間に亘る軍側の説明に依り仏印進出の必要性は能く分った。

「やけくそ」にやるわけではない

「ソ」と戦う場合、三、四月位なら米を外交的におさえる自信を持って居る

統帥部案の如く形成を観望すると英米「ソ」に包囲せらるべし

宜しく先ず北をやり次て南をやるべし。虎穴に入らずんば虎子を得ず。宜しく断行すべし

(陸相 「支那事変との関係如何」)

(松岡)昨年暮迄は南を先に次て北と思って居った。南をやれば支那は片付くと思ったが駄目になった。北に進み「イルクーツク」迄行けば宜しかるべく、其の半分位でも行けば蒋にも影響を及ぼし全面和平になるかも知れぬと思う

内容は現代口語に近いですから、凡そ理解できますね。

6月25日、「南方施策促進方針に関する件」を決議する段階で、松岡はその決議に関し、

「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、随時閣議は刺激するかも知れぬが時局柄やむを得ず」

と述べているわけですが、なぜか「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」に於いては「南は後回しにすべきだ」と主張する松岡。
上記やり取りの中で、この「南方」に対する考え方としては、いくつかポイントとなりそうなやり取りが登場します。

上記やり取りによりますと、

 1.対ソ戦は短期決戦で済む

 2.アメリカはソ戦が嫌いだから、対ソ戦には介入してこない

 3.短期決戦に持ち込み、ドイツがソ連を攻略した後に「対ソ問題」を解決したとしても外交上問題にはならない。

ということが理由として挙げられます。また、上記記載内容の続きからの引用にはなるのですが、

 4.日本にとって三国同盟は重要だが、日ソ中立条約はもともと結ぶ必要のなかった条約(ドイツがソ連と和解したため選択肢として登場したもの)。三国同盟をやめる必要性が出てくるのなら日ソ中立条約は取らない。

 5.利害ではなく、道義で外交を行うべき

といった文言も登場します。

また、松岡にも、軍部にも共通して言えるのは、「勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない」という部分。

松岡がこの言葉に言及しているのは、日米諒解案のやり取りに関しての見解なのですが、「支那事変をやめるわけにはいかない」という見解は松岡にも軍部にも共通して言えます。

蒋介石との交渉による和平はまず不可能で、支那事変そのものをやめるわけにはいかないとなれば、あとは南仏へ進駐するか、北に出るしかない。

北に出れば米軍が入ってくることはないが、南に出れば米英と開戦状況に陥る可能性が否定できない。
だからまず北に出てドイツを支援し、北方から蒋介石軍に圧力をかける選択肢を取ろう、というのが松岡の主張ですね。

また、「ドイツの戦況が有利な状況にあるのかどうかが分からないうちに支援を表明するのが大切だ」とも言っており、松岡とすると、日本が対ソ開戦を行った後の状況まで含めて想定に入れていたということでしょうか。


一方、軍部が対ソ開戦に慎重だったのはまず、同じ資料の続きに記されている内容から判断しますと、蒋介石軍に軍力を注ぎすぎて対ソ開戦の為の兵力を準備する時間がない、という理由です。

準備を整えようとすれば関東軍だけでも4、50日は必要で、それ以外の兵力を編成しようとすればそれ以上にかかる。
準備も整ってないのに、やるか、やらないかを今決めることはできない。

準備が整ったときに独ソ戦がどうなっているのか、その状況をみて対ソ戦を決意してもいいのではないか、というのが軍部の意見。

軍部でも海軍と陸軍との間で反応が違っていて、「北を攻めるのは絶対に反対だ」というのが海軍。
「松岡外相の気持ちはわかるが、現実問題として無理でしょ?」

というのが陸軍の反応です。

また、松岡が25日の時点では南方政策に積極的であったのに、なぜ26日の時点では意見が変わっているのかという点について、松岡の

「南に出ると英米と戦ふ、仏印に進出する事に就ては、ともすれば英米と戦うことになるかも知れぬが、二週間に亘る軍側の説明に依り仏印進出の必要性は能く分った」

との文言から推察できるかもしれません。この文言から推察するに、南方政策についてその必要性を訴えていたのは元から軍部であり、松岡その必要性を事後的に認めた、という流れが見えてきます。

25日の、「南方施策促進方針に関する件」についての懇談会が行われる経緯の中で、松岡は軍部に説得され、「決まった以上、なるべく早く実行するべきだ」との意見に変化したということでしょうか。

またこの「南方施策促進方針に関する件」について再掲しますと、

【南方施策促進に関する件】
昭和16年6月25日
大本営政府連絡会議決定
同日上奏御裁可

1.帝国は現下の諸般の情勢に鑑み 既定方針に準拠して 対仏印泰施策を促進す
  特に蘭印派遣代表の帰朝に関連し 速に仏印に対し東亜安定防衛を目的とする日仏印軍事的結合関係を設定す

2.前号の為 外交交渉を開始す

3.仏国政府または仏印当局者にして我が要求を応ぜざる場合には武力を以て我が目的を貫徹す

4.前号の場合に処する為 予め軍隊派遣準備に着手す

これが松岡が「急いで実行に移すべきだ」とした「南方施策促進に関する件」に関する内容です。

内容としては、「特に蘭印派遣代表の帰朝に関連し 速に仏印に対し東亜安定防衛を目的とする日仏印軍事的結合関係を設定す」が主題としてあり、続いて「前号の為 外交交渉を開始す」とありますから、松岡が「急ぐべきだ」としたのは、「東亜安定防衛を目的とする日仏印軍事的結合関係の設定」を行うための「外交交渉」を急ぐべきだといったのであって、進駐そのものは別に急ぐ必要はない、と意図したのではないか、との推察もできます。

ですがこのあたりはやはり松岡自身の心中の問題でもありますので、実際のどうであったのかということを確定させるのはやはり難しいですね。

松岡自身の言葉としては、

『全面和平の為重慶と直接交渉は見込みなし、従って大きく包囲してやる要アリと判断し、「ソ」とも中立条約を作り、独に対しては頼みはしなかったが之と手を握り唯残るは米国のみとなった。よって米国に対し滞欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」を出した。

帰京後米国の返事を見た所、本職の考えと違って居った。変なものになったのは中間に人が入ったからだ。

数日前米国から返事が来たが実に妙なものだ。勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない。全面和平の為重慶と直接交渉は見込みなし、従って大きく包囲してやる要アリと判断し、「ソ」とも中立条約を作り、独に対しては頼みはしなかったが之と手を握り唯残るは米国のみとなった。よって米国に対し滞欧中参戦阻止援蒋中止を趣旨とする個人「メッセージ」を出した。

帰京後米国の返事を見た所、本職の考えと違って居った。変なものになったのは中間に人が入ったからだ。

数日前米国から返事が来たが実に妙なものだ。勿論支那事変をやめればうまく行くかも知れぬが夫れは適当ではない。結局最後に米国をつかむことに狂を生じた。』

とあり、「結局最後に米国をつかむことに狂を生じた」とあることから、この時点で既に日米諒解案を通じた米国との交渉はこの時点で十中八九決裂すると踏んでいたのでしょう。また、「ハルと自分が直接交渉していればこんなことにはならなかった筈だ。自分の代わりに野村大使が交渉に挑んたためこんなことになった」という意図も垣間見えます。

その上にドイツがソ連侵攻をスタートしたというニュースが飛び込んできたわけですから、松岡外相の心の動揺が見て取れます。

松岡は「ソ連と戦争になること」より、「アメリカと戦争になること」の方が危険であることをこの時点ではっきりと気づいていたんですね。松岡は「南に進出すれば米英と戦争になる」ことを察知しており、同じ戦争になるのなら、米英よりソ連を選ぶべきだ、としていたわけです。

ドイツがソ連との間で「独ソ不可侵条約」を結ぶまでの間、日本とドイツは「日独防共協定」を締結しており、「ソ連」という共産国家を共通の敵として認識し、日本はモンゴルの国境付近でソ連とも交戦状態にあったのです。

ところが、日本と同盟関係にあったドイツが、日本と敵対関係にあったソ連との間で不可侵条約を結んでしまったことで日本の中に「ドイツに仲介してもうことで、ソ連との間で停戦条約を締結する」という選択肢が生れました。

「ドイツとソ連が交戦状態に陥る可能性は1/2だ」としながらも、これが発生しないことに期待して日ソ中立条約を締結したわけですが、その肝心のドイツとソ連が交戦状態に陥ってしまったことで、この構造が音を立てて崩れ去ってしまいました。

有田・クレーギー会談によってイギリスは援蒋ルートをストップすることを約束しました。
フランスとの交渉により北部仏印進駐を行うことで、フランスも又援蒋ルートを遮断することを約束しました。
日ソ中立条約を結ぶことで、ソ連側からの援蒋ルートを遮断することもできました。

後は米国からの蒋介石支援をストップさせ、米国を欧州戦争に参戦させない確約さえさせることができれば蒋介石軍を殲滅し、それこそ「大東亜」に平和と安定をもたらすことが可能になるわけです。

ところが、この様な状況の中で突然ドイツがソ連に侵攻し、独ソ開戦。俄かに日本にとってすでに安定していたはずの「北方」に課題が発生することとなってしまったわけです。

日本の選択としては、三国同盟を破棄するか、日ソ中立条約を破棄するかそれともこれを放置するかの3択を迫られることとなります。

松岡は日ソ中立条約を破棄し、三国同盟を選択することを主張したわけですが、軍部は「放置する」との選択を主張しました。
若し仮に「放置する」の選択を取るとした場合。次に何を考えなければならないのか。

松岡の選択肢は「アメリカを参戦させないためにはどうすればよいのか」という選択肢だったわけですが、軍部の選択肢は「フランス領インドシナ」をどうするべきか、という選択肢だったわけです。

松岡は6月21日米国対案を見た時点で、「米国が蒋介石支援をやめる」という選択肢を取ることはない事を感じ取っていたわけですので、「南部仏印進駐はない」という選択肢になります。仮に実行すれば対英米戦開戦となるリスクが大きくなりますから。

ですが、軍部とすれば「仏印を安定させること」が最優先事項ですから、「南部仏印進駐を行うべきだ」という選択肢になるわけです。すでに独ソ戦はスタートしていますし、蘭印との交渉は妥結に至らず終結しました。そしてハルからは「米国対案」が届いたちょうどそのタイミング。

この後、松岡は外相の座をはずされ、軍部は「南部進駐」へと突き進むことになります。


次回の記事ではもう一つ、松岡が「南方施策」に関連して、軍部からどのようにして説得されていったのか。
この経緯を追いかけてみたいと思います。


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第252回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る④

それでは改めまして、1941年6月21日、米国側が出してきた「米国対案」 に対し、9月25日、日本側が出した修正案を中心に記事を進めてみます。

・・・と行きたいところなのですが、この間に松岡外相の罷免を含め、日本と米国との間で様々なやり取りが繰り広げられていますので、9月25日の日本側修正案にたどり着く前に、日本国内での経緯や日米間に於ける経緯について記事にしておきたいと思います。

データとしては、主に国立公文書館アジア歴史資料センター 資料より、「公文書による日米交渉の経緯」 に掲載された内容を中心に進めていきます。

米国よりの対案が出されるのが日本時間にて6月22日早朝1時。
前回の記事 にも掲載しています通り、この3日後、日本時間6月15日13時に南方施策促進に関する件 、つまり南部仏印進駐に関する決定がなされます。

引用記事でも掲載しました通り、これは蘭印に於ける日蘭会商終結(あくまで『決裂』ではない)を受けてのものです。
日蘭会商については、第247回の記事 にも掲載しています通り、日本のオランダに対する要求はほぼ全面的に妥結しています。

にも関わらず最終的に交渉が妥結に至らなかった理由としては「ゴムとマンガン鉱」に対する回答が日本の要求量よりも少なかっただけの理由。このまま妥結したのでは、タイや仏印に「足元を見られる」事を危惧してのものです。日本側のプライドの問題でした。

松岡洋右


逆に言えば、蘭印との交渉が合意に至りませんでしたから、このまま放置すればそのこと自体が足元を見られる原因となり、仏印が「ヴィシー政権」から「自由フランス政権」に乗り換えることも危惧されたわけです。

ですから「次の一手」として松岡は(フランスとの交渉を推したのは松岡ではなく軍部であったようです)フランスと直接交渉し、仏印全体への進駐を完了させ、仏印が寝返ることがないよう先手を打った、というのが今回の「南部仏印進駐」の真相だったのではないかと思われます。

松岡が一番懸念していたのは、米国が欧州戦争に参戦すること。パワーバランスが崩れ、米国が参戦するための口実を与えることを一番恐れていたのです。これは、第250回記事 にて掲載した松岡修正案から考えても明らかなことです。

ただ、もう一つ問題だったのは、「米国対案」が日本側に突きつけられたのとタイミングを同一にして、ドイツがソ連に攻め込んでしまった、ということ。松岡の構想にあったのは、欧州戦線に於いては「日独伊」そして「ソ連」が4カ国で同盟関係を築くことで米国が参戦しにくい状況を作ることにありました。

ですが、独ソ戦が開戦してしまったことで、この構想がもろくも崩れ去ってしまったわけです。
恐らく松岡が南部仏印進駐の決定を急いだ理由には、この様な事情もあったのではないでしょうか。

この時の松岡の言葉として、この様な言葉が掲載されています。

「本件は急いだ方が宜し、決定した以上今直ぐが宜しい、随時閣議は刺激するかも知れぬが時局柄やむを得ず」

と。日本時間で6月25日のことです。
そしてその翌日、「帝国国策要綱」についての懇談会が開催されています。「帝国国策要綱」。つまり、「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱 の事です。

この骨子を作成したのは陸海空軍によるもので、この時の会議では、これに松岡外相が噛みついています。

例えば、帝国国策要綱 要綱第3項に、

「3.独「ソ」戦に対しては三国極軸の精神を基体とするも暫く之に介入することなく密かに対「ソ」武力的準備を整え自主的に対処す此の間固より周密なる用意を以て外交交渉を行う独「ソ」戦争の推移帝国の為有利に進展せは武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す」

と書かれているわけですが、ここに「自主的に」とある部分に対して、松岡は

「同盟関係にあるのに、ドイツ、イタリアに相談することなく、勝手にソ連に攻撃するのか?」

と投げかけています。陸海軍側は、

「いやいや、ドイツはいつもこちらに相談することなく勝手に戦争始めてるじゃない。なんでわざわざこちらから連絡しなきゃならないわけ?」

と答えます。すると松岡は、

「向こうが勝手に戦争を仕掛けようが仕掛けまいが、そんなことはこっちには関係ない。こっちが誠心を以て対応することで向こうの気持ちをつかむことができるんだ」

と答えます。また、

要綱第1項にある、

「 1.蒋政権屈服促進の為更に南方諸地域よりの圧力を強化す情勢の推移に対し適時重慶政権に対する交戦権を行使し且支那に於ける敵性租界を接収す」

について、

「租界接収には覚悟がいる。『情勢の推移に応じ(最終案では情勢の推移に「対し」となっています)』とあるが、『情勢の推移』とはいったいどのような情勢を想定しているのか」

と問いかけ、これに軍部が「米英との開戦を意図している」と伝えると、松岡は「これは南京政府(汪兆銘政権)にはできない。日本がやらなければならない」と答えています。

また同4項
「4.前号遂行に当たり各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ」

という項目に関しては、

「南方に対する基本姿勢の保持に大なる支障なからしむの、『大』とは何だ」

と問いかけています。そう。軍部が最初に出した要綱では、「対英米戦争の基本態勢」の文言は入っていなかったんですね。
当初案では、「南方に対する基本姿勢」と書かれていたのです。

3項が対ソ開戦に関する項目ですから、「仮にソ連と開戦状態に陥っても南方に対する基本姿勢に影響はありません」と最初は書書かれていたのです。

また松岡は、帝国国策要綱 方針 第2項
「2.帝国は依然支那事変処理に邁進し且自存自衛の基礎を確立する為南方進出の歩を進め又情勢に対し北方問題を解決す」

に関して、
「『南方進出の歩を進む』ということと、『尚、北方問題を解決す』の『尚』という言い回しが理解できない」

と問いかけます。更に、
「要領3(対ソ開戦ついての項目)の『各般の施策を促進す』ということも理解できない」

とも問いかけています。之が実際にどの部分を差していたのか、までは現時点はわかりませんが、軍部は「北方問題は後回しにし、先に南方問題を解決する」ことを想定していたのです。

実際に資料でも、松岡に問いかけられた「軍部総長」に対して、「近藤次長」が「南が先だ」との声を耳に入れています。

これに対し、松岡は「それは私の意見とは異なる」と答えています。つまり、松岡は「北方問題を先に解決するべきだ」と考えていたのです。

松岡は、南方に進出するということは、米英を敵に回し、戦争状態になるということに気づいていたんですね。
だからこそ租界問題において軍部に米英開戦に対する覚悟を問い、綱領第4項についての文言が、「南方に対する基本姿勢の保持」という文言が、「対英米戦争の基本態勢の保持」という文言に書き換えられたのです。

つまり、

「南方問題を先に解決し、北方問題を後回しにするということは、米英開戦が行われた後で、更に北方問題を解決する、ということを言っているんですよ、あんたたち?」

と松岡は暗に言っていたのだと思われます。
ですが、この松岡の考え方だと、前日25日に決定した「南方施策方針に関する件」で松岡自身が主張した内容と矛盾するようにも感じます。

独ソ開戦も勿論急なことでしたし、松岡自身は独ソを含めた4カ国連携を考えていました。
その上で米国対案が出された直後ということもあり、松岡の頭の中ではいろんなプログラムが回転していたのでしょうか。

ひょっとすると、松岡自身の頭の中では、「対ソ開戦」という選択肢は最初からなかったのかもしれません。

次回記事では、この後の日本国内に於ける国策の推移を見ながら、松岡の考え方についても整理していきたいと思います。


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第252回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る④

「日本が真珠湾攻撃に至った理由」。これを現在は、日本に対する「最後通牒」であったとされる「ハルノート」にポイントを絞って分析しています。

中々手間のかかる作業ではありますが、それなりにやりがいのある作業だとも感じています。


前回の記事では、5月12日、松岡外相が「日米諒解案」を修正する形で米国側に送った「松岡修正案」。これに対して6月21日、米国側がこの松岡修正案を更に修正する形で送ってきた「米国対案」をベースに記事を作成しました。

今回はこの米国対案に対して1941年9月25日、日本側が更に米国に対して提出したさらなる修正案を中心に記事を作成してみたいと思います。

今回は本題に入る前に、再度年表を使って歴史の経緯をおさらいしてみます。

1937年 8月13日 第二次上海事変勃発(中国軍による日本租界への攻撃)

      8月14日 中国軍による日本艦艇及び日米欧共同租界、フランス租界空爆

      8月15日 日本軍による蒋介石軍に対する事実上の宣戦布告が行われる(渡洋爆撃の実施)

      9月12日 蒋介石は自軍の共同租界への空爆の映像を日本軍によるものだと偽って国際連盟に提出

      10月5日 ルーズベルトによる「隔離演説」

      10月6日 蒋介石の提出した資料に基づいて日本軍への非難決議案が国際連盟全会一致にて採択

      12月13日 日本軍により南京陥落

1938年 6月14日 天津英租界封鎖事件

      10月   日本軍により広州(広東省)陥落(イギリス援蒋香港ルートの遮断)

      11月3日 第二次近衛声明発表

      12月25日 米国、蒋介石軍に2500万ドルを供与

1939年 6月20日 有田・クレーギー会談が合意に至り、天津英租界封鎖が解除される。

      7月26日 アメリカより日米通商航海条約破棄が通告

      8月23日 独ソ不可侵条約締結

      9月1日 ドイツ軍によるポーランド侵攻(第二次世界大戦勃発)

      11月17日 南寧市(広西省)陥落(仏印援蒋南寧ルートの遮断)

      12月    米国より日本への航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出停止が通知

1940年 1月     日米通商航海条約失効

      3月30日 汪兆銘政権樹立

             米国、蒋介石支援のたに2000万ドルの借款供与

      4月9日 ドイツ軍、ノルウェーデンマークに侵攻

      4月15日 有田外相、欧州戦争の激化の影響が蘭印に及ぶことを懸念する声明を発表
             米国メディア、「日本が蘭印を支配する意図を婉曲に述べたもの」であると一斉に報道
     
      5月10日 ドイツ軍、オランダ・ベルギーに侵攻

      5月11日 有田外相、蘭独英仏の各国政府に対し「蘭印の現状維持に関する日本の意向」を通報

      6月6日 在日パブスト蘭公使より、「石油・ゴム・錫等13品目の蘭印産重要物資につき一定量の対日供給を確約する書面」を取り付ける

      7月12日 クレーギーによりビルマ援蒋ルートの3か月中断が表明される

      6月17日 フランス、ドイツに降伏

      6月19日 日本よりフランスに仏印援蒋雲南省ルートの閉鎖を要請。仏印総督により合意

            米国より特殊工作機械等の対日輸出が許可制に

      7月26日 米国に於いて鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立

      8月    石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制

             航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸

      8月上旬 マニラにて米・英・蘭の石油関連会議が開催される

      9月中旬 小林蘭印使節団、蘭印バタビアに到着(日蘭会商開始)

      9月22日 北部仏印進駐に関する軍事協定が日仏印間で締結

            (締結直後に富永恭次少将が暴走し、仏軍と衝突)

      9月23日 北部進駐開始(仏印援蒋ルートの閉鎖)

      9月25日 米国、重慶政権に2500万ドルの借款供与

      9月25日 日独伊三国同盟締結

      9月26日 米国、屑鉄の全面禁輸を発表

      10月8日 イギリスによるビルマ援蒋ルート再開

      10月中旬 小林蘭印使節団長、失言に依り交渉より降りる
             向井石油代表が交渉を引き継ぎ、石油の輸入量に関して合意に至る

      10月16日 米国、屑鉄の全面禁輸の実施

      11月    蘭印石油の新規契約分が調印される

      11月23日 タイ・仏印インドシナ紛争勃発

      12月28日 蘭印芳澤新使節団長がバタビアに到着。

1941年 1月     芳澤団長より蘭印に「(重要資源以外の)一般提案」が提出される

      1月28日 日本の仲介によりタイと仏印は停戦状態となる

      1月30日 対仏印、泰施策要綱が大本営会議決定される

      2月24日 日本よりタイ・仏印戦争への調停最終案が提示される。

      3月11日 日本から(仏印への)強い圧力によりタイ・仏印間の調停が成立

      4月16日 野村米国大使とハル長官の間で「日米諒解案」を下に交渉が進められることが合意される

      5月9日 泰仏両国が東京条約に調印し、タイ仏印戦争は終戦となる

      5月12日 日米諒解案に対する松岡修正案が米国へ提出

      6月     蘭印側より一般問題と重要資源の供給量に対する回答が出る。

      6月17日  資源に関しては一部資源を除き、ほぼ満額回答が出るが、芳澤団長は交渉の終結を通告し、帰国の途に就く。

      6月22日 ドイツ軍ソ連侵攻(独ソ開戦)

      6月22日 松岡修正案に対する米国提案がハルより提出される

      6月25日 「南方施策促進に関する件」が閣議決定される

      7月2日 「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が御前会議決定される

      7月16日 近衛内閣総辞職。第三次近衛内閣が発足し、松岡は事実上外相職を罷免される

      7月21日 フランスヴィシー政権、「仏印の主権尊重を日本側が声明すること」を条件として仏印南部進駐を承諾

      7月23日 南部仏印進駐が書面にて合意されれる

      7月24日 交渉妥結に関する方向が同盟関係にある独伊におこなわれる。

      7月25日 同じ内容が米英に通報される。日本軍は南部仏印進駐部隊を派遣
            米国、対日資金凍結措置を決定。英国もこれに追従する。

      7月26日 英国は日英通商航海条約の破棄を通告
             同日、オランダが「日蘭民間石油協定」の停止を通告

      7月28日 日本軍、南部仏印進駐を開始

      8月1日 ルーズベルト、対日石油輸出全面禁止へと踏み切る。英国もこれに追従

      9月25日 松岡修正案に対する米国対案に対するさらなる「対案」を日本より米国側に提示

      10月16日 近衛内閣総辞職

      10月18日 東條英機内閣成立。東郷成徳が外相に就任

      11月21日 日本側最終案「乙案」をハルに提示

      11月27日 米国より、所謂「ハルノート」が提示される

      12月1日 第8回御前会議で対米英蘭開戦が決定される

      12月3日 日本海軍機動部隊より真珠湾攻撃命令が発令される

      12月4日 マレー半島攻略部隊、出発

      12月8日 真珠湾攻撃 
            日米交渉決裂。「米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書」により、米国と英国に宣戦布告

ついにここまできたなぁ・・・と、感慨深いものがあります。
終盤のいきさつはまだまだ調査が必要ですが、日米開戦に至った経緯も、本当にたくさんの「立場」や「価値観」「感情」が交錯し、本当に複雑な事情の下ここまで至ったのだな、と感じますね。

最後の辺りを見ていると、もし松岡が罷免されず、松岡の考え方のまま交渉が進められていれば、ひょっとしたら戦争にならなかったんじゃないかとか、結局日本側が最大限譲歩し、米国側の主張に歩み寄ったにも関わらず、これを突っぱねられた為「日米開戦」に至ったんじゃないか・・・とか、いろんな推測も浮かびます。

ひょっとして日本が「弱み」を見せたため、最終的に「開戦」の決断をせざるを得なくなったんじゃないか・・・とかね。

このあたりはまだ私の「推測」です。
ちょっと本題にまではたどり着けていませんが、「9月25日日本国対案」については、上記のような経緯を踏まえた上で、次回記事にて改めて検証してみたいと思います。

わかりますね? 次回「対案」を出すときに、既に意思決定を行う「場」には松岡は存在しないのです。
松岡が罷免された後の日本が、どのような交渉を行っていくのか、少し楽しみに感じる部分がありますね。

それでは、次回記事「9月25日日本国対案」。お楽しみに。


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<継承する記事>
第250回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る②

前回の記事では、「ハルノート」の原型となった「日米諒解案」。
これを修正して松岡がハルに送った「松岡修正案」と「日米諒解案」を比較することで、日米双方の主張の隔たりを検証いたしました。

今回は、ここからさらに、松岡修正案に対してハルがさらに修正を加えた「米国対案」について検証をしてみたいと思います。
米国が示してきた対案は以下の通りです。日にちは6月22日のなっていますが、これは日本時間になります。米国時間では21日です。

訂正が行われた箇所を訂正線にて、追加された箇所をアンダーラインにて示しています。

例によってすべてに目を通すと脳が沸きそうになるので、一旦は読み飛ばしてください。
【米側対案(6月22日在米大使取次)】

(極秘)(非公式、試案にして拘束力なし)
合衆国及日本国政府及米国政府両国間のは伝統的友好関係の回復の為共同宣言に於て表現せらるるが如き了解に関する一般的協定の交渉開始及締結の為を目的とする全般的協定を交渉し且之を締結せんが為此に共同の責任を受諾す

両国政府は両国国交の最近の疎隔の特定原因に論及することなく付ては特に之を論議することなく両国民間の友好的感情悪化の原因となるするに至りたる事件の再発を防止し其の不測不幸なる結果に付矯正を図ることは両国政府のの発展を制止することを衷心よりの希望なり

両国共同の努力に依り合衆国及日本国が太平洋に於ける平和の道義に基く平和を樹立及保持のため友好なる貢献を為すこと及し両国間の懇切なる友好的了解諒解を速かに完成することに依り世界平和を助長し且文明を覆没せんとする惧ある悲しむべき混乱を假令の脅威を一掃せしむることせんこと若しその不可能なりとするもなるに於ては速かに之が悪化を抑制せんことはを拡大せしめさらんことは両国政府の真摯なる切実に希望する所なりとす

斯かる果断なる措置前記の決定的行動の為には長期の交渉は不適当にして又果薄弱なり、優柔不断なるに鑑み茲に全般的協定を成立せしむる為仍て両国政府は両国政府を不取敢道義的に拘束し其の行動に関し拘束すべき一般的了解を成立せしめ之を完成する為にはを規律すべき適当なる手段を案出実施することを希望すとして文書を作成することを提議するものなり

両国政府は斯る右の如き了解之を緊急を要するなる枢要重要問題のみを包含せしめに限局し会議の審議に譲り後に適宜両国政府間に於て確認し得べき附随的事項は之を含ましめさること然るべしと信ずを適当とす

両国政府間の関係は左記の如き特定の諸点に付事態を明瞭にし又は之を改善するにし得るに於ては融和関係の達成を期待し著しく調整し得べしと認むめらる

 一、国際関係及び国家の本質に関する合衆国及日本国の日米両国の観念日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 三、日支間の和平解決に対する措置支那事変に対する両国政府の関係

 四、両国間の通商

 五、南西太平洋地域方面に於ける両国政府の経済的活動

 六、太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国政府の方針

 七、比律賓群島の中立化

因て合衆国政府及日本国政府は並に左の相互的前述の事情より此に左記の了解及政策の宣言に到達したり

一、国際関係及び国家の本質に関する合衆国及日本国の日米両国の観念日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 日米両国政府は相互に其の国策は永久的平和樹立並びに両国民間の相互信頼及協力の新時代の創始を目的とするものなることを確認す対等の独立国にして相隣接する太平洋強国たることを承認す

 両国政府は恒久の平和を確立し両国間に相互の尊敬に基く信頼と協力の新時代を画さんことを希望する事実に於て両国の国策の一致することを闡明せんとす

 両国政府は各国家及民族が正義及衡平に依る萬邦協和の理想の下に存在する各国並に各人種は相拠りて八紘一宇を為すとは其の伝統的及現在に於ける観念及革新なることをし等しく権利を享有し相互に利益は之を平和的方法に依り調節し精神的並に物質的の福祉を追求し之を自ら擁護すると共に之を破壊せざるべく且後進民族の抑圧又は搾取を排撃すべき責任を容認することは両国政府の伝統的確信なることを声明す

即ち平和的手続に依り規律せられ且精神的及物質的福祉の追及を目的とする相関的利害関係に基き何れも等しく権利を共有し責任を容認す

而して右福祉たるや各国家及民族が他の為に之を毀損すべかざるが如く自らの為に之を擁護するものとす

更に両国政府は他の民族の抑圧又は搾取を排撃すべき各自の責任を容認す

 両国政府は国家の本質に関する各自の相互に両国固有の伝統的観念並びにに基く国家観念及社会的秩序及び並に国家生活に関するの基礎的たる道義的原則は引き続き之を保存持すべく且右道義的原則及び観念に之に反する外来思想又は「イデオロギー」に依り変改せしめの跳梁を許容せざることを固くの鞏固なる決意を有す

二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 日本国政府及米国は世界平和の将来を共同の目標とし相協力して欧州戦争の拡大を防止するのみならず其の速かなる平和克復に努力す

 日本国政府は三国条約の目的が過去に於ても又現在に於ても枢軸同盟が防御的にして挑発に依らざる現に欧州戦争の拡大防止に寄与せんとするものなるに参入し居らざる国家防止するに在るものなることを闡明す

 日独伊三国条約に基づく軍事的援助義務は同条約三条に規定せらるる場合に於て発動せらるるものなること勿論なることを闡明す

 米国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に於て一方の国を援助して他方を攻撃せんとするか如き攻撃的施策に出てざるべきことを闡明す

 合衆国政府米国政府戦争を嫌悪することに於て牢固たるものあり従って其の欧州戦争に対する態度は現在及今後も将来に亙り防護と自衛即ち自国の安全と之が防御の考慮に依りて専ら自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す

注、(1941年5月31日案の一部を成せる本問題に関する合衆国政府の付属追加処の代わりとして並びに交換公文の試案添付せらる)

三、日支間の和平解決に対する措置支那事変に対する両国政府の関係

 日本国政府は合衆国政府に対し日本国政府が支那国政府との和平解決交渉を定義すべき場合に於ける基礎的一般条件即ち日本国政府の声明するところに依れば善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則並びに右原則の実際的適用に矛盾せらるものなる条件を通報したるを以て合衆国大統領は支那国政府及び日本国政府が相互に有利にして且受諾し得べき基礎に於いて戦闘行為の終結及平和関係の回復のための交渉に入る様支那国政府に慫慂すべし
 米国政府は近衛声明に示されたる三原則及び右に基き南京政府と締結せられたる条約及日満支共同宣言に明示せられたる原則を了承し且日本政府の善隣友好の政策に信頼し直に蒋政権に対し和平勧告をなすべし

注、(第三項の前期案文は共産運動に対する共同防衛問題(支那領土に於ける日本軍隊の駐屯問題を含む)及日支間の経済的協力の問題に関する今後の討議に依り変更せらることあるべし、第三項の案文修正の定義に関しては如何なる修正案も本校に関し付属書に掲げられたる一切の點が満足に起草せられ本稿及付属書が全体として検討し得るに至りたる上にて考究すること最も好都合なりと信ず)

四、両国間の通商

 本了解が今次の了解成立し両国政府に依り公式に之を承認せられたるときは合衆国及日本国日米両国の一方が供給し得て他方が必要とするが如きは各其の必要とする物資を相互に供給すべきこと相手国が有する場合相手国より之が確保を保障すべしせらるるものとす又

両国政府は更に嘗て日米通商航海条約に基づき確立せられ居りたる有効期間中存在したるが如き正常の通商関係を回復せしむるに必要なる措置をへの復帰の為適当なる方法を講ずことに同意す、るものとす若し尚両国政府は新通商条約が両国政府により希望せらるるときはの締結を欲するときは右は出来得る限り速かに交渉せらるべく且通常の手続きに日米会談に於て之を考究し通常の慣例に従い之を締結せらるべしするものとす

両国間の経済提携促進の為米国は日本に対し東亜に於ける経済状態の改善を目的とする商工業の発達及日米経済提携を実現するに足る金クレジットを供給するものとす

五、南西太平洋地域方面に於ける両国政府の経済的活動

 日本の南西太平洋方面に於ける日本国及米国の活動は発展は平和的手段に依且国際通商関係に於ける無差別待遇の原則に遵い行はるべしとの並に為されたる相互的誓役に基づきものなることの声明せられたるに鑑み日本国及合衆国政府は南国が夫々自国経済の保全及発達の為必要とする天然日本の欲する同方面に於ける資源例えば石油、護謨、錫、「ニッケル」等の物資商業的供給の無差別的均霑を受け得る様相互に生産及獲得に関し米国側は之に協力すべきことを約するものとす

六、太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国政府の方針

 両国政府は本了解の基調を為す支配的方針は太平洋地域に於ける平和なること、協力的努力に依り太平洋地域に於ける平和の維持及保全に貢献するは両国政府の根本目的なること並びに両国両国の何れも前記地域に於いて領土的企図を有せざることを声明す

七、比律賓群島の中立化

 日本国政府は合衆国政府が希望する時期に於て合衆国政府と比律賓の独立が完成せらるべき際に於ける比律賓群島の中立化のための条約締結を目的とする交渉に入る用意あることを声明す
 A、日米両国政府は比島の独立を共同に保障す
 B、米国に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を与えらるべし


付則
本了解事項は両国政府間の秘密覚書とす本了解事項発表の範囲性質及時期は両国政府間に於て決定するものとす


米国対案



ふぅ・・・つかれた・・・

この6月21日に米国側より突きつけられた対案は、ネット上にどこにもタイピングしたものが見当たらなかったので、松岡修正案を訂正する形こそ用いていますが、全て私の手打ちです。ですから、タイプミス等ございましたら、どうぞご容赦を。

ちなみに松岡修正案も同様に私が手打ちしていますので、タイプミス等あるかもしれません。

さて。この「米国対案」なのですが、いかがでしょう。これを見て「松岡は激怒した」ともアジア資料センター記事には記されています。ということでこの転載元原文はアジア資料センター 様に掲載されているデータです。

1項ついては特に問題はないと思います。「八紘一宇」の考え方が米国民にはあまりよく理解できないため、理解できるように・・・・と意図されたものであるのかどうかはわかりませんが、要はこの「八紘一宇」の考え方をわかりやすく説明したような文章になっています。

問題となるのはまず2項。「欧州戦争に対する両国政府の態度」について記されたものです。

まず米国側が削除してきたのは

「日本国政府及米国は世界平和の将来を共同の目標とし相協力して欧州戦争の拡大を防止するのみならず其の速かなる平和克復に努力す」

の文言です。
続いて、松岡案の

「日本国政府は枢軸同盟が防御的にして現に欧州戦争に参入し居らざる国家防止するに在るものなることを闡明す」

との文章が、

「日本国政府は三国条約の目的が過去に於ても又現在に於ても防御的にして挑発に依らざる欧州戦争の拡大防止に寄与せんとするものなることを闡明す」

と訂正されています。松岡案は、暗に

 「日本が三国同盟を結んだのは、アメリカに欧州戦争に参加させないためなのですよ」

と言っているわけですが、米国の対案ではこれが、

 「日本が三国同盟を結んだのは、『挑発に依らざる』欧州戦争の拡大を防止するためのものです」

というように書き換えられているのです。つまり、「挑発されたことが原因であれば、欧州戦争が拡大したとしても問題ありませんよ」ということを米国側は暗に示してきているわけです。つまり、「枢軸国側が挑発してくるのであれば、米国はいつでも欧州戦争に参戦する用意がある」と。

これは、

 「米国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に於て一方の国を援助して他方を攻撃せんとするか如き攻撃的施策に出てざるべきことを闡明す」

という文言が削除されていることからも推察されます。つまり、

 「米国の欧州戦争に対する態度は、一方の国を援助して、これに敵対する相手を攻撃するような態度に出ることもあり得ますよ」

と言っています。

 また更に、

 「合衆国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及今後も防護と自衛即ち自国の安全と之が防御の考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す」

 ともありますが、この時点での米国に問て、アメリカが「欧州戦争」に対して考慮しなければならない「自国の安全と之が防御」とは一体何なのでしょうか。訂正前の文言は以下の通りです。

「米国政府は戦争を嫌悪することに於て牢固たるものあり従って其の欧州戦争に対する態度は現在将来に亙り専ら自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す」

ここから「米国政府は戦争を嫌悪することに於て牢固たるものあり」との文言が削除されています。
つまり、ハルによる修正によって、アメリカの欧州戦争に対する態度の中に、「戦争」という選択肢が追加されたことを示しています。

実は、アメリカが主張する「自国の安全と之が防御」。米国のどす黒い部分が、実はこの対案の中に後程登場します。


項目3。「日支間の和平解決に対する措置」に関しても、日米間の見解の隔たりが見て取れます。

「日本国政府は合衆国政府に対し日本国政府が支那国政府との和平解決交渉を定義すべき場合に於ける基礎的一般条件即ち日本国政府の声明するところに依れば善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則並びに右原則の実際的適用に矛盾せらるものなる条件を通報したるを以て合衆国大統領は支那国政府及び日本国政府が相互に有利にして且受諾し得べき基礎に於いて戦闘行為の終結及平和関係の回復のための交渉に入る様支那国政府に慫慂すべし」

という文言の中で、ハルは

「日本国政府の声明するところに依れば善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則並びに右原則の実際的適用に矛盾せらるものなる条件を通報したるを以て」

合衆国は蒋介石軍政府に対して和平関係回復の為の交渉に入ることを通告すべきだ、と言っています。
そう。彼は現在の日本国政府の態度が、「善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則並びに右原則の実際的適用」に矛盾していると言っているのです。

ですが、私がこのシリーズで口が酸っぱくなる程に示しているのは、日本は「善隣友好、主権及領土の相互尊重に関する近衛原則」を実行するため、最大限の努力を行ってきたし、この対案が示された時点でも「実行している」ということです。

中国本土より共産勢力を一掃すること以外に、、日本人や日本人に友好的な中国人たちに対して牙を剥き、残虐な行為がまさに行われるリスクを取り除く方法はありません。

自国民を守るためにも、日本軍は蒋介石軍との戦闘を中止するわけにはいきませんし、何より彼らを一日でも早く降伏させ、この異常な状態を終結に向かわせることが日本軍にとっても喫緊の課題であったのです。

にも拘らず、この状態が一向に解消されないのはなぜか?
米国が蒋介石軍に対して物資、資金、人材、軍備の支援を行い続けているからです。

米国がこの行為をやめない限り、日本と蒋介石軍との戦闘が終結することはありません。蒋介石軍との戦闘行為を終わらせることこそ「善隣友好、主権及領土の相互尊重」の為に本当に必要なことなのに、これが終結しない原因を作り続けている米国が、日本に対して「近衛原則に矛盾している」とは、一体どの口が言っているんだ!と突っ込みたくなるばかりです。

きっと松岡外相も同じ気持ちだったと思いますよ。

また更に、「六、太平洋地域に於ける政治的安定に関する両国政府の方針」の中で一括して集約されていたはずの比律賓に対する問題が、「七、比律賓群島の中立化」として更に抽出されています。

松岡は同修正案に於いて、フィリピンの問題を

「A、日米両国政府は比島の独立を共同に保障す
 B、米国に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を与えらるべし」

と短くまとめていたのですが、これがまず、「比島の独立」の文言が、「比島の中立化」と書き換えられ、ハルは

「日本国政府は合衆国政府が希望する時期に於て合衆国政府と比律賓の独立が完成せらるべき際に於ける比律賓群島の中立化のための条約締結を目的とする交渉に入る用意あることを声明す」

との文言に書き換えています。
ですが考えてみてください。フィリピンが独立するのであれば、日米はわざわざフィリピンの独立に際して、「中立化のための条約」を締結する必要などないはずです。

理由は簡単です。フィリピンは現在米国が占領している「植民地」であり、ここを独立させてしまえば、米国がフィリピンに対して有している「権益」が侵害される恐れがあるからです。

この時点でアメリカは、日本がフィリピンに対して攻め込んできて独立させ、自分たちの支配下=大東亜共栄圏の一角に加えることを恐れていたんですね。

ですが、日本は、別に今まで通り米国が日本に対して資源を供給し続けてくれるのであれば、態々フィリピンを占領したりする必要などありませんし、仮に米国を脅威に感じるのだとしても、特に蘭印に対して開発業者を派遣し、日本企業によって開発された石油資源を確保することさえできれば、別にフィリピンまで手を伸ばす必要ど全くありません。

何より、アメリカやイギリスが蒋介石軍を支援するのを止め、蒋介石軍をさっさと殲滅することができれば、必要以上に資源を必要とする理由すらないのです。

日本が北部仏印進駐を行ったのは仏印援蒋ルートを中断させるためであり、別に他の南方地域に対して圧力をかけることが目的であったわけではありません。これを「圧力」だと感じるのはアメリカの勝手。

自分たちが蒋介石を支援することさえやめれば感じる必要性さえなかった「圧力」です。

もう一度整理しますと、日本が蒋介石を追い立てていたのは、中国本土に於ける在留邦人=民間人の身体及び経済の「安全」を確保し、ひいては日本国本土の「安全」をも確保するための、文字通りの「自衛」の為の戦闘行為でした。

南方に軍を進駐させたことも、資源確保を目指したことも、どれをとっても「侵略」を目的としたものではなく、「日本国民(及び占領下におかれた中国人、併合された朝鮮人たち)」の事実上の「安全」を確保するための手段です。

ですが、アメリカが守ろうとしているものは自分たちが武力によって支配し、植民地とした「フィリピン」に於ける自分たちの「権益」を守るため。米国が「九カ国条約」などにしがみつかず、早くから中ソの危険性を認識し、日本と一体となって対処していれば、日米間で資源を共有し、お互いの繁栄の為に協力することもそう難しい話ではなかった筈です。

「ハルノート」に関連してハルがハルノートの提出と同時に日本に対して突きつけた「オーラルステートメント」では、日本が11月20日に提出した最終案「乙案」に対し、「和解のための基本原則と矛盾し、受け入れることはできない」とし、ハルノートが本日記事にしたこの6月21日案と9月25日に日本が提出した修正案との「ギャップ」を埋めるものだとしました。

勿論ハルノートが突きつけられた時点では、日本は既に南部仏印進駐を実施しており、これに反発してアメリカが、これに追従してイギリスとオランダが日本に対して「石油全面輸出禁止」や「資産凍結」を実施した後の話であり、6月21日の対案が提出されたときとは背景となる事情が全く異なっています。

ですが、それでもやはりハルの中でベースとなっているのはあくまでもこの「6月21日案」であることが分かります。


次回記事では、更に進んで日本が9月25日に示した修正案をベースに記事を作成してみたいと思います。


この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第249回 日本はなぜ真珠湾を攻撃したのか/日米開戦の原因に迫る①

前回の記事に引き続き、ハルノートの検証から記事に入りたいと思います。

コーデル・ハル

前回の記事で、Yahoo知恵袋に投稿されていた回答より、ピックアップした5つのポイント。

 ・ハルノートが突きつけられる前に、既に日本軍はアメリカとマレーに向けて大規模な軍隊を進出していた。

 ・ハルノートは、冒頭に「暫定的」「拘束力のない」「提案」「草案」と書かれており、「最後通牒」と呼ぶには程遠いものであった。

 ・ハルノートの中でアメリカの唯一の「要求」は中国・仏領インドシナから軍隊・警察力を引き揚げる事だけである。
 日本がパリ不戦条約、九ヶ国条約を破って満州・中国を侵略し、フランスがドイツに負けたどさくさに仏印を侵略していたのだからこれは当然であり、且つハルノートには「いつ、どんな方法で」撤退すべきなのかは書かれていない。

 ・ハルノートには、「三国同盟を解消しろ」とは書かれていない。

 ・ハルノートには、中国大陸における日本の権益や満州についてもまったく書いていない。

この内容を検証することで、少しこの「ハルノート」の性格が見えてくるのではないでしょうか。
冒頭の「ハルノートが突きつけられる前に、既に日本軍はアメリカとマレーに向けて大規模な軍隊を進出していた」という内容については、おそらく事実と思われますが、少し角度の違う検証が必要かと思いますので、今回の検証対象からは外します。

それでは、二つ目のポイントから記事にしていきたいと思います。

『ハルノートは、冒頭に「暫定的」「拘束力のない」「提案」「草案」と書かれており、「最後通牒」と呼ぶには程遠いものであった』のは本当か?

これは、英文でこのように記されています。(英文、および翻訳は こちらのサイト を参考にしました)
「United States Note to Japan November 26, 1941

Strictly confidential, tentative and without commitment
November 26, 1941.

Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan」

回答に記されている英文はこのうち2行目、「Strictly confidential, tentative and without commitment」の部分です。
「Strictly confidential,(極秘)」「tentative(思案)」 「without commitment(拘束されない)」という意味です。

また、冒頭にある「Note」の文言が、「提案」とも意訳されていますから、回答者が文中で述べているのはこれらの内容のことです。

そう書かれてあるからと言って、疑いもせずまともに受け止めるのもどうかと思うのですが、実はこの提案書にはもう一つ、コーデル・ハルによる「オーラルステートメント(口頭陳述)」なるものがセットで送られてきています。

先ほどのリンク先にこのオーラルステートメントもセットで掲載されているのですが、この部分に関しては訳文が存在しません。
ポイントとなるのは、こちらの英文です。
「The proposals which were presented by the Japanese Ambassador on November 20 contain some features which, in the opinion of this Government, conflict with the fundamental principles which form a part of the general settlement under consideration and to which each Government has declared that it is committed. 」

記されている内容をざっくりと要約すると、

「日本大使が提示した11月20日の提案は、和解のための基本原則と矛盾し、受け入れることはできない」

といった内容です。


その上で、
「The plan therein suggested represents an effort to bridge the gap between our draft of June 21, 1941 and the Japanese draft of September 25 by making a new approach to the essential problems underlying a comprehensive Pacific settlement. 」

このプラン、つまり「ハルノート」は、1940年6月21日にアメリカが側が出した提案と、日本が9月25日に出した提案のギャップを埋める事を目的としている。

と記されています。

つまり、この「ハルノート」に掲載された内容を理解するためには、ハルが主張する和解のための「基本原則」そしてアメリカが日本に出した6月21日の提案内容。これに対して日本が返した9月25日の提案内容、更にハルノートが返した11月20日の提案内容を理解することが必要だということを意味しています。

ハルが述べている「基本原則」とは、ハルが野村米国大使に対し、米国が日本と交渉に入る直前に示した4原則のことで、以下のような内容です。

1.すべての国の領土と主権尊重
2.他国への内政不干渉を原則とすること
3.通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
4.平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持

また、ハルがこの四原則を野村に示した際、これに先んじて日米間でまとめられた草案として、「日米諒解案」なるものが存在します。例によって難しい内容となっていますので、まずは読み飛ばしてください。

【日米諒解案】
「五、四月十六日日米両国諒解案四月十七日来電二三四号」
(1941年4月16日)

日本国政府及米国政府両国間の伝統的友好関係の回復を目的とする全般的協定を交渉し且之を締結せんが為此に共同の責任を受諾す

両国政府は両国国交の最近の疎隔の原因に付ては特に之を論議することなく両国民間の友好的感情を悪化するに至りたる事件の再発を防止し其の不測の発展を制止することを衷心より希望す

両国共同の努力により太平洋に道義に基く平和を樹立し両国間の懇切なる友好的諒解を速かに完成することに依り文明を覆没せんとする悲しむべき混乱の脅威を一掃せんこと若しその不可能なるに於ては速かに之を拡大せしめさらんことは両国政府の切実に希望する所なりとす

前記の決定的行動の為には長期の交渉は不適当にして又優柔不断なるに鑑み茲に全般的協定を成立せしむる為両国政府を道義的に拘束し其の行動を規律すべき適当なる手段として文書を作成することを提議するものなり

右の如き了解は之を緊急なる重要問題に限局し会議の審議に譲り後に適宜両国政府間に於て確認し得べき附随的事項は之を含ましめさるを適当とす

両国政府間の関係は左記の諸点に付事態を明瞭にし又は之を改善し得るに於ては著しく調整し得べしと認めらる

 一、日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 三、支那事変に対する両国政府の関係

 四、太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係

 五、両国間の通商及金融提携

 六、南西太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 七、太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針

前述の事情より此に左記の了解に到達したり右了解は米国政府の修正を経たる後日本国政府の最後的且公式の決定に俟つべきものとする

一、日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 日米両国政府は相互に其の対等の独立国にして相近接する太平洋強国たることを承認す

両国政府は恒久の平和を確立し両国間に相互の尊敬に基く信頼と協力の新時代を画さんことを希望する事実に於て両国の国策の一致することを闡明せんとす

 両国政府は各国並に各人種は相拠りて八紘一宇を為し等しく権利を享有し相互に利益は之を平和的方法に依り調節し精神的並に物質的の福祉を追求し之を自ら擁護すると共に之を破壊せざるべき責任を容認することは両国政府の伝統的確信なることを声明す

 両国政府は相互に両国固有の伝統に基く国家観念及社会的秩序並に国家生活の基礎たる道義的原則を保持すべく之に反する外来思想の跳梁を許容せざるの鞏固なる決意を有す

二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 日本国政府は枢軸同盟の目的は防御的にして現に欧州戦争に参入し居らざる国家に軍事的連衡関係の拡大することを防止するに在るものなることを闡明す

 日本国政府其の現在の条約上の義務を免れんとするか如き意志を有せず尤も枢軸同盟に基く軍事上の義務は該同盟締約国独逸か現に欧州戦争に参入し居らざる国に依り積極的に攻撃せられたる場合に於てのみ発動するものなることを声明す

 米国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に於て一方の国を援助して他方を攻撃せんとするか如き攻撃的同盟に依り支配せらるべきことを闡明す米国政府は戦争を嫌悪することに於て牢固たるものあり従って其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に亙り専ら自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す

三,支那事変に対する両国政府の関係

 米国大統領か左記条件を容認し且日本国政府が之を保障したるときは米国大統領は之に依り蒋政権に対し和平の勧告を為すべし

 A、支那の独立
 B、日支間に成立すべき協定に基く日本国軍隊の支那領土撤退
 C、支那領土の非併合
 D、非賠償
 E、門戸開放方針の復活但し之が解釈及適用に関しては将来適当の時期に日米両国間に於て協議されるべきものとす
 F、蒋政権と汪政権との合流
 G、支那領土への日本の大量的又は集団的移民の自制
 H、満洲国の承認

 蒋政権に於て米国大統領の勧告に応じたるときは日本国政府は新たに統一樹立せらるべき支那政府又は該政府を構成すべき分子をして直に直接に和平交渉を開始するものとす

日本国政府は前記条件の範囲内に於て且善隣友好防共共同防衛及び経済提携の原則に基き具体的和平条件を直接支那側に掲示すべし

四、太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係

 A、日米両国は太平洋の平和を維持せんことを欲するを以て相互に他方を脅威するが如き海軍兵力及航空兵力の配備は之を採らざるものとす右に関する具体的な細目は之を日米間の協議に譲るものとす
 B、日米会談妥結に当りては領国は相互に艦隊を派遣し儀礼的に他方を訪問せしめ以て太平洋に平和の到来したることを寿ぐものとす
 C、支那事変解決の緒に着きたるときは日本国政府は米国政府の希望に応じ現に就役中の自国船舶にして解役し得るものを速かに米国との契約に依り主として太平洋に於て就役せしむる様斡旋することを承諾す但し其の屯数等は日米会談に於て之を決定するものとす

五、両国間の通商及金融提携

 今次の了解成立し両国政府之を承認したるときは日米両国は各其の必要とする物資を相手国が有する場合相手国より之が確保を保障せらるるものとす又両国政府は嘗て日米通商条約有効期間中存在したるが如き正常の通商関係への復帰の為適当なる方法を講ずるものとす尚両国政府は新通商条約の締結を欲するときは日米会談に於て之を考究し通常の慣例に従い之を締結するものとす

両国間の経済提携促進の為米国は日本に対し東亜に於ける経済状態の改善を目的とする商工業の発達及日米経済提携を実現するに足る金クレジットを供給するものとす

六、南西太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 日本の南西太平洋方面に於ける発展は武力に訴うることなく平和的手段に依るものなることの保障せられたるに鑑み日本の欲する同方面に於ける資源例えば石油、護謨、錫、「ニッケル」等の物資の生産及獲得に関し米国側の協力及支持を得るものとす

七、太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針

 A、日米両国政府は欧州諸国が将来東亜及南西太平洋に於て領土の割譲を受け又は現存国家の併合等を為すことを容認せざるべし
 B、日米両国政府は比島の独立を共同に保障し之が挑戦なくして第三国の攻撃を受くる場合の救援方法に付考慮するものとす
 C、米国及南西太平洋に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を与えらるべし

日米会談

 (A)日米両国代表者間の会談はホノルルに於て開催せらるべく合衆国を代表してルーズヴェルト大統領日本国を代表して近衛首相に依り開会せらるべし代表者数は各国五名以内とす尤も専門家書記などは之に含まず
 (B)本会談には第三国オブザーバーを入れざるものとす
 (C)本会談は両国間に今次了解成立後成るべく速かに開催せらるべきものとす(本年五月)
 (D)本会談に於ては今次了解の各項を再議せず両国政府に於て予め取極めたる議題は両国政府間に協定せらるるものとす

付則
本了解事項は両国政府間の秘密覚書とす本了解事項発表の範囲性質及時期は両国政府間に於て決定するものとす

この案に日本側で松岡外相が修正を加え、ハルに送った内容が以下の通り。日米諒解案は全文掲載した上で、削除された部分に訂正線を、追加された部分にアンダーラインをそれぞれ掲載しています。

全部目を通すと脳が沸きそうになるので、とりあえず読み飛ばしてください。
日本国政府及米国政府両国間の伝統的友好関係の回復を目的とする全般的協定を交渉し且之を締結せんが為此に共同の責任を受諾す

両国政府は両国国交の最近の疎隔の原因に付ては特に之を論議することなく両国民間の友好的感情を悪化するに至りたる事件の再発を防止し其の不測の発展を制止することを衷心より希望す

両国共同の努力により太平洋に道義に基く平和を樹立し両国間の懇切なる友好的諒解を速かに完成することに依り文明を覆没せんとする悲しむべき混乱の脅威を一掃せんこと若しその不可能なるに於ては速かに之を拡大せしめさらんことは両国政府の切実に希望する所なりとす

前記の決定的行動の為には長期の交渉は不適当にして又優柔不断なるに鑑み茲に全般的協定を成立せしむる為両国政府を道義的に拘束し其の行動を規律すべき適当なる手段として文書を作成することを提議するものなり

右の如き了解は之を緊急なる重要問題に限局し会議の審議に譲り後に適宜両国政府間に於て確認し得べき附随的事項は之を含ましめさるを適当とす

両国政府間の関係は左記の諸点に付事態を明瞭にし又は之を改善し得るに於ては著しく調整し得べしと認めらる

 一、日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 二、欧州戦争に対する両国政府の態度

 三、支那事変に対する両国政府の関係

 四、太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係

 、両国間の通商及金融提携

 、南西太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 、太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針

前述の事情より此に左記の了解に到達したり右了解は米国政府の修正を経たる後日本国政府の最後的且公式の決定に俟つべきものとする

一、日米両国の抱懐する国際観念並に国家観念

 日米両国政府は相互に其の対等の独立国にして相近隣接する太平洋強国たることを承認す

両国政府は恒久の平和を確立し両国間に相互の尊敬に基く信頼と協力の新時代を画さんことを希望する事実に於て両国の国策の一致することを闡明せんとす

 両国政府は各国並に各人種は相拠りて八紘一宇を為し等しく権利を享有し相互に利益は之を平和的方法に依り調節し精神的並に物質的の福祉を追求し之を自ら擁護すると共に之を破壊せざるべく且後進民族の抑圧又は搾取を排撃すべき責任を容認することは両国政府の伝統的確信なることを声明す

 両国政府は相互に両国固有の伝統に基く国家観念及社会的秩序並に国家生活の基礎たる道義的原則を保持すべく之に反する外来思想の跳梁を許容せざるの鞏固なる決意を有す

二、欧州戦争に対する両国政府の態度
 日本国政府及米国は世界平和の将来を共同の目標とし相協力して欧州戦争の拡大を防止するのみならず 其の速かなる平和克復に努力す

 日本国政府は枢軸同盟の目的はが防御的にして現に欧州戦争に参入し居らざる国家に軍事的連衡関係の拡大することをの戦争参加を防止するに在るものなることを闡明す

 日本国政府其の現在の条約上の義務を免れんとするか如き意志を有せず尤も枢軸同盟に基く軍事上の義務は該同盟締約国独逸か現に欧州戦争に参入し居らざる国に依り積極的に攻撃せられたる場合に於てのみ発動するものなることを声明す

 日独伊三国条約に基づく軍事的援助義務は同条約三条に規定せらるる場合に於て発動せらるるものなること勿論なることを闡明す

 米国政府は其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に於て一方の国を援助して他方を攻撃せんとするか如き攻撃的同盟に依り支配せらる施策に出てざるべきことを闡明す

米国政府は戦争を嫌悪することに於て牢固たるものあり従って其の欧州戦争に対する態度は現在及将来に亙り専ら自国の福祉と安全とを防衛するの考慮に依りてのみ決せらるべきものなることを声明す

三,支那事変に対する両国政府の関係

 米国政府は近衛声明に示されたる三原則及び右に基き南京政府と締結せられたる条約及日満支共同宣言に明示せられたる原則を了承し且日本政府の善隣友好の政策に信頼し直に蒋政権に対し和平勧告をなすべし

 米国大統領か左記条件を容認し且日本国政府が之を保障したるときは米国大統領は之に依り蒋政権に対し和平の勧告を為すべし

 A、支那の独立
 B、日支間に成立すべき協定に基く日本国軍隊の支那領土撤退
 C、支那領土の非併合
 D、非賠償
 E、門戸開放方針の復活但し之が解釈及適用に関しては将来適当の時期に日米両国間に於て協議されるべきものとす
 F、蒋政権と汪政権との合流
 G、支那領土への日本の大量的又は集団的移民の自制
 H、満洲国の承認

 蒋政権に於て米国大統領の勧告に応じたるときは日本国政府は新たに統一樹立せらるべき支那政府又は該政府を構成すべき分子をして直に直接に和平交渉を開始するものとす

日本国政府は前記条件の範囲内に於て且善隣友好防共共同防衛及び経済提携の原則に基き具体的和平条件を直接支那側に掲示すべし

四、太平洋に於ける海軍兵力及航空兵力並に海運関係

 A、日米両国は太平洋の平和を維持せんことを欲するを以て相互に他方を脅威するが如き海軍兵力及航空兵力の配備は之を採らざるものとす右に関する具体的な細目は之を日米間の協議に譲るものとす
 B、日米会談妥結に当りては領国は相互に艦隊を派遣し儀礼的に他方を訪問せしめ以て太平洋に平和の到来したることを寿ぐものとす
 C、支那事変解決の緒に着きたるときは日本国政府は米国政府の希望に応じ現に就役中の自国船舶にして解役し得るものを速かに米国との契約に依り主として太平洋に於て就役せしむる様斡旋することを承諾す但し其の屯数等は日米会談に於て之を決定するものとす

、両国間の通商及金融提携

 今次の了解成立し両国政府之を承認したるときは日米両国は各其の必要とする物資を相手国が有する場合相手国より之が確保を保障せらるるものとす又両国政府は嘗て日米通商条約有効期間中存在したるが如き正常の通商関係への復帰の為適当なる方法を講ずるものとす尚両国政府は新通商条約の締結を欲するときは日米会談に於て之を考究し通常の慣例に従い之を締結するものとす

両国間の経済提携促進の為米国は日本に対し東亜に於ける経済状態の改善を目的とする商工業の発達及日米経済提携を実現するに足る金クレジットを供給するものとす

、南西太平洋方面に於ける両国政府の経済的活動

 日本の南西太平洋方面に於ける発展は武力に訴うることなく平和的手段に依るものなることの保障声明せられたるに鑑み日本の欲する同方面に於ける資源例えば石油、護謨、錫、「ニッケル」等の物資の生産及獲得に関し米国側の協力及支持を得るは之に協力するものとす

、太平洋の政治的安定に関する両国政府の方針

 A、日米両国政府は欧州諸国が将来東亜及南西太平洋に於て領土の割譲を受け又は現存国家の併合等を為すことを容認せざるべし
 B
A、日米両国政府は比島をして永久中立を保持せしむること及同島に於て日本国民に対し差別待遇を為さざることを条件として其の独立を共同に保障し之が挑戦なくして第三国の攻撃を受くる場合の救援方法に付考慮するものと
 C、米国及南西太平洋に対する日本移民は友好的に考慮せられ他国民と同等無差別の待遇を与えらるべし

日米会談

 (A)日米両国代表者間の会談はホノルルに於て開催せらるべく合衆国を代表してルーズヴェルト大統領日本国を代表して近衛首相に依り開会せらるべし代表者数は各国五名以内とす尤も専門家書記などは之に含まず
 (B)本会談には第三国オブザーバーを入れざるものとす
 (C)本会談は両国間に今次了解成立後成るべく速かに開催せらるべきものとす(本年五月)
 (D)本会談に於ては今次了解の各項を再議せず両国政府に於て予め取極めたる議題は両国政府間に協定せらるるものとす

付則
本了解事項は両国政府間の秘密覚書とす本了解事項発表の範囲性質及時期は両国政府間に於て決定するものとす

松岡洋右
【松岡洋右】

これが松岡修正案の内容です。

勿論、この時点ではまだ松岡単独の修正案ではありますが、松岡外相が修正した内容に目を通すと、この時日本が米国に対して主張したかったことが凡そ見えてくるのではないでしょうか。

まず、第1項に於いて、松岡は国際観念、及び国家観念として、両国が「後進民族の抑圧又は搾取を排撃すべき」責任を容認するこ、という内容を追加しています。

裏を返せば、「自分たちはこんなことをしていませんが、お宅らはやってますよね」というメッセージを載せている、とも読み取れます。

また第2項に於いて、「日本国政府及米国は世界平和の将来を共同の目標とし相協力して欧州戦争の拡大を防止するのみならず 其の速かなる平和克復に努力す」との文言を加えた上で、ハル側が「現に欧州戦争に参入し居らざる国家に軍事的連衡関係の拡大することを防止」することが日本が三国同盟に参加した目的だ、としていることに対し、松岡は『現に欧州戦争に参入し居らざる国家の参戦』そのものを防止することがその理由だとしています。

「現に欧州戦争に参入し居らざる国家」とはすなわちダイレクトにアメリカのことです。
松岡はここで、「三国同盟とはそもそもお宅を欧州戦に参戦させない為に存在するんだよ」と言っているわけです。

また、松岡は同項目に於いて、

「日本国政府其の現在の条約上の義務を免れんとするか如き意志を有せず尤も枢軸同盟に基く軍事上の義務は該同盟締約国独逸か現に欧州戦争に参入し居らざる国に依り積極的に攻撃せられたる場合に於てのみ発動するものなることを声明す」

という文章も削除し、

「日独伊三国条約に基づく軍事的援助義務は同条約三条に規定せらるる場合に於て発動せらるるものなること勿論なることを闡明す」

という文章に訂正しています。
米国の言う「現在の条約」とは即ち「 九カ国条約 」のことです。

松岡は、続く第3項で、

「A、支那の独立
 B、日支間に成立すべき協定に基く日本国軍隊の支那領土撤退
 C、支那領土の非併合
 D、非賠償
 E、門戸開放方針の復活但し之が解釈及適用に関しては将来適当の時期に日米両国間に於て協議されるべきものとす
 F、蒋政権と汪政権との合流
 G、支那領土への日本の大量的又は集団的移民の自制
 H、満洲国の承認」

という、アメリカ側が蒋介石政権に和平勧告を行う「前提条件」として示しているこれら8つの項目をごそっと削除していますが、これはすなわち「9カ国条約を守れ」という米国側からの暗黙的なメッセージだと考えられます。

第2項において「日本国政府其の現在の条約上の義務を免れんとするか如き意志を有せず」なる文言を削除したのも、松岡とすれば、

「私たちはこの条約を破るつもりなど毛頭ない。だが蒋介石軍がそれに託けて、中国本土に於いて私たちの同胞たちに一体何をしたのか、お宅は忘れたというのか!?」

とのメッセージを込めたものだと考えられます。

その上で、第3項では

「米国政府は近衛声明に示されたる三原則及び右に基き南京政府と締結せられたる条約及日満支共同宣言に明示せられたる原則を了承し且日本政府の善隣友好の政策に信頼し直に蒋政権に対し和平勧告をなすべし」

としています。「近衛声明に示されたる三原則」とは、「善隣友好、共同防共、経済提携」の三つ。
南京政府とは汪兆銘政権のこと。これは、おそらく日満支における「東亜新秩序」のことを意図したものと思われます。

つまり、

「蒋介石が政権の座から降りれば、あとは我々と汪兆銘との間で『9カ国条約の下』うまくやっていくんだから、アメリカさん、蒋介石に支援金や支援物資を送り続けたりせず、さっさと降伏勧告してくださいよ」

と松岡は言っているわけですね。
また南方の領土問題について、諒解案で米国側は、「フィリピン」の問題にしがみついているわけですが、これはフィリピンが当時米国の占領下にあったから。アメリカはこのフィリピンに対する「権益」にしがみついていたわけです。

ですが松岡とすれば、「そんなんどうでもいいから。さっさと蒋介石への支援をやめて和平勧告してくださいよ」といったところでしょうか。

これは、アメリカではなく欧州の東南アジアにおける領土問題に対して言及した部分がゴソッと削除されていることからも推察されます。

ともあれ、コーデル・ハルと日本との間の交渉は、この松岡修正案をベースに繰り広げられることになります。


次回記事では、この松岡修正案を受けて6月21日、米国側から提出された提案書をベースに記事を作りたいと思います。


この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果


<継承する記事>
第248回 ABCD包囲網とオランダ/対仏印泰施策要綱と南方施策促進に関する件

さて。いよいよ、「本丸」ですね。私とすれば、余り向き合いたくない場面だったりします。

元々私は、このシリーズを通して追求してきた「日中戦争」や「第二次世界大戦」については全く不勉強でしたし、元々保有していた情報の量がゼロに近い状況からシリーズを継続しています。

ですが、その分こういった情報について精通した方、よくご存じの方が見ても遜色のないように、極力誤った情報を掲載しないように、より真実に近いと思われる情報を必死に調査し、ここまで記事にしてきました。

前回まで集中して記事にした「仏印進駐」のことなど、このシリーズを作成し始めて知りましたし、日中戦争が本当にスタートしたのが「盧溝橋事件」ではなく、「第二次上海事変」からであった事も、そもそも一次二次を通じて「上海事変」なるものが存在したことすら知りませんでした。

「盧溝橋事件」と「満州事変」や「張作霖爆殺事件」についても、その違いをまったくと言っていいほど理解できていませんでしたし、「蒋介石」や「孫文」が中国史に於いて一体どのような役割を担った人物であったのかということも、蒋介石の北伐もその北伐を行う過程で発生した「南京事件(1927年)」や「済南事件」などの、後の歴史に大きな影響を与える程の悲惨な事件が発生したことも知りませんでした。

そして、この様な調査を通じて、今回以降で記事にする「第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)」に至る「歴史」が、この様な様々な「事実」の積み重ねの上に起きた悲惨な出来事であったことを、改めて実感させられることとなりました。


改めて、ですが、この記事を作成する発端となったのは、こちらの動画の内容について、改めて検証してみたい、と思ったことも一つの理由です。



この動画の中でも触れられているのですが、日本が開戦に踏み切った理由として挙げられているのが、米国から突きつけられた最後通牒、「ハルノート」の存在です。

【コーデル・ハル国務長官】
コーデル・ハル

日本が当時交渉を行っていた米国側の責任者、コーデル・ハルの名前にちなんで「ハル・ノート」と呼ばれます。

ですが、改めて「ハルノート」のことを調べてみますと、記述によっては「ハルノートにはまだ交渉の余地が残っており、米国政府は最後通牒として出したものではない」といった内容の記述を行っているサイト等も見受けられます。現時点ではまだ、どの記述が真実に近いのか。これに明確な答えを保有していません。

改めて、「ハルノート」なるものを書きに掲載してみます。例によって目を通すと頭が痛くなりそうなので、まずは読み飛ばしてください。

【所謂ハルノート】
日米交渉11月26日米側提案
(1941年11月27日来電、第1192号、1193号)

合衆国及び日本国間協定の基礎概略

第1項 政策に関する相互宣言案

合衆国政府及び日本政府は共に太平洋の平和を欲し其の国策は太平洋地域全般に亙(わた)る永続的且つ広汎なる平和を目的とし、 両国は右地域に於いて何等領土的企図を有せず、 他国を脅威し又は隣接国に対し侵略的に武力を行使するの意図なく又その国策に於いては相互間及び一切の他国政府との間の関係の基礎たる左記根本諸原則を積極的に支持し且つ之を実際的に適用すべき旨宣明す。

 1.一切の国家の領土保全及び主権の不可侵原則

 2.他の諸国の国内問題に対する不干与の原則

 3.通商上の機会及び待遇の平等を含む平等原則

 4.紛争の防止及び平和的解決並びに平和的方法および手続に依る国際情勢改善の為国際協力及び国際調停遵拠の原則

日本国政府及び合衆国政府は慢性的政治不安定の根絶、頻繁なる経済的崩壊の防止及び平和の基礎設定の為め、相互間並びに他国家及び他国民との間の経済関係に於いて左記諸原則を積極的に支持し、 且つ実際的に適用すべきことを合意せり

 1.国際通商関係に於ける無差別待遇の原則

 2.国際的経済協力及び過度の通商制限に現れたる極端なる国家主義撤廃の原則

 3.一切の国家に依る無差別的なる原料物資獲得の原則

 4.国際的商品協定の運用に関し消費国家及び民衆の利益の十分なる保護の原則

 5.一切の国家の主要企業及び連続的発展に資し、且つ一切の国家の福祉に合致する貿易手続きによる支払いを許容せしむるが如き国際金融機構及び取極め樹立の原則


第2項 

合衆国政府及び日本国政府の採るべき措置

合衆国政府及び日本国政府は左記の如き措置を採ることを提案す

 1.合衆国政府及び日本国政府は英帝国支那、日本国、和蘭(オランダ)、蘇連邦、泰国、及び合衆国間多辺的不可侵条約の締結に努むべし

 2.当国政府は米、英、支、日、蘭、及び泰政府間に各国政府が仏領印度支那の領土主権を尊重し、且つ印度支那の領土保全に対する脅威に対処するに必要且つ適当なりと看做(みな)さるべき措置を講ずるの目的を以って即時協議する旨誓約すべき協定の締結に努むべし

 3.斯かる協定は又協定締約国たる各国政府が印度支那との貿易若しくは経済関係に於いて特恵的待遇を求め、又は受けざるべく且つ各締約国の為仏領印度支那との貿易及び通商に於ける平等待遇を確保するが為尽力すべき旨規定すべきものとす

 4.日本国政府は支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし

 5.合衆国政府及び日本国政府は臨時に首都を重慶に置ける中華民国国民政府以外の支那に於ける如何なる政府、若しくは政権をも軍事的、経済的に支持せざるべし

 6.両国政府は外国租界及び居留地内及び之に関連せる諸権益並びに1901年の団匪事件(義和団事件の事)議定書に依る諸権利を含む支那に在る一切の治外法権を放棄すべし

 7.両国政府は外国租界及び居留地に於ける諸権利並びに1901年の団匪事件議定書による諸権利を含む支那に於ける治外法権廃棄方に付き英国政府及び其の外の政府の同意を取り付くべく努力すべし

 8.合衆国政府及び日本政府は互恵的最恵国待遇及び通障壁の低減並びに生糸を自由品目として据え置かんとする米側企図に基き合衆国及び日本国間に通商協定締結の為協議を開始すべし

 9.合衆国政府及び日本国政府はそれぞれ合衆国に在る日本資金および日本国に在る米国資金に対する凍結措置を撤廃すべし
 10.両国政府は円払い為替の安定に関する案に付き協定し右目的の為適当なる資金の割り当ては半額を日本国より半額を合衆国より給与せらるべきことを合意すべし

 11.両国政府は其の何れかの一方が第三国と締結しおる如何なる協定も同国に依り本協定の根本目的即ち太平洋地域全般の平和確立及び保持に矛盾するが如く解釈せらるべきことを同意すべし

 12.両国政府は他国政府をして本協定に規定せる基本的なる政治的経済的原則を遵守し、且つ之を実際的に適用せしむる為其の勢力を行使すべし

これが、所謂「ハルノート」なるものです。内容は、こちらのサイト より直接コピペさせていただきました。

しかし・・・難しい。
日本国政府は、このコーデル・ハルより送られてきた「電報」を「最後通牒」と捉えました。

この考え方を否定する考え方として、一番露骨でわかりやすかったのが、YahooさんのQ&Aサイト、「Yahoo知恵袋」に掲載されていた質問に対する回答です。

質問は こちらの質問 です。

回答より、ポイントになる部分のみ抜粋します。例によって長文になりますから、枠内はまずは読み飛ばしてください。
ハルノートを受けて、これでは戦争しかない、と日本が立ち上がざるをえなかったという説がありますが、これは間違いです。

当時ワシントンで日米和平交渉が進められていましたが、日本はハルノートの二ヶ月も前に昭和16年10月上旬までに日本の要求が受け入れられなければ米英蘭に戦争をしかける、と一方的に決めました。

そして11月5日、東條が総理大臣になって最初の御前会議で、12月1日零時までに日本の要求が通らなければ12月上旬に対米英戦争を開始、と最終的に決められた、「帝國は迅速なる武力戦を遂行し、東亜及び西南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域並びに主要交通線を確保して長期自給自足の態勢を整う。あらゆる手段を尽くして適時米海軍主力を誘致しこれを撃滅するに勉む」、と。

陸軍では、陸軍大臣や参謀総長に対して圧倒的な影響力を持つ佐官クラスの中堅層を中心に戦争気分濃厚で、外交交渉が失敗して開戦になる事を期待していました。日本政府のいわゆる「乙案」にしても、外務省の妥協案に陸軍が強烈な横槍を入れ、「妥協」から程遠いものになってしまった。「大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌」という資料がありますが、「外交交渉が失敗する事を熱望する」などと、すごい内容です。陸軍は戦争がしたくて仕方がなかったのです。

日本政府がハルノートを受け取ったのは昭和16年11月27日。しかし日本海軍機動部隊は既にその前日に真珠湾に向けて出撃していました。また、マレー半島奇襲上陸を目指した陸軍の大部隊を乗せた輸送船団も南方に向けて航行中でした。つまり和平交渉中に、そしてハルノートを受け取る前に強大な攻撃部隊を出撃させていた。

ハルノートは宣戦布告はもちろん、最後通牒からも程遠いものでした。冒頭に「暫定的」「拘束力のない」「提案」「草案」と書かれています。そんな最後通牒はありません。それを日本語に翻訳する時に消してしまった。誰がやったかは謎ですが、日本は戦争やる気満々だったのです。

ハルノートの中でアメリカの唯一の「要求」は中国・仏領インドシナから軍隊・警察力を引き揚げる事だけです。これは当然ですね、日本がパリ不戦条約、九ヶ国条約を破って満州侵略に始まって中国侵略を拡大し、フランスがナチ・ドイツに負けたどさくさに仏印を侵略していたのですから。ただし「いつ」「どんな方法で」などは書いていない(「即時撤退」とはどこにも書いてない)

日中戦争は既に泥沼化して日本軍は速戦即決の勝利をあきらめており、日本経済に深刻な悪影響を与えていました。陸軍部内ですら撤退の意見がありましたが、東條英機は陸軍次官、陸軍大臣、総理大臣と一貫して絶対にそれを許さなかった。

欧米諸国も中国に軍隊を駐留させていたじゃないかという人もいますが、アメリカは上海に海兵隊を1500人、イギリスは上海と天津に一個大隊、それぞれの居留民保護の為の警備員みたいなもので戦力などと呼べたものではない。もちろん中国を攻撃などしていない。日本は多い時で百万の大軍隊で中国各地で殺人、略奪、強姦、、、まったく違います。しかも英米とも昭和16年にはみんな撤退しました。

ハルノートはあの当時としては穏健でむしろ日本の顔を立てたものでした。「日米政府が音頭を取って関係各国に働きかけて不戦条約を結びましょう」とか、「日米政府がお互いに最恵国待遇を基本として通商を行い、貿易上の障害を取り除く為の協議を始めましょう」とまで提案している。

三国同盟を解消しろと言っていない。中国大陸における日本の権益や満州についてもまったく書いていない。日本軍の中国撤退の条件として相当の権益は確保出来たと思います。にも拘わらず日本は質問も交渉も一切しないでいきなり戦争を始めました。というか、日本はハルノートを受け取る前に既に攻撃部隊を出撃させていた。それが以前からの国策だったのです。

真珠湾攻撃の数時間前に陸軍の大部隊が英領マレー半島に上陸。そしてウェイク島、グアム島、香港、フィリピンへの攻撃が続きます。11月27日にハルノートを受け取って「これでは日本は戦争しかない」とたった10日ほどでこの様な一連の大攻勢作戦が計画・準備・実行が出来るわけがない。ハルノートの相当前からの周到な準備に基づいたものでした。そういう事すら理解出来ない人がいますね。

「アメリカは日本との戦争を決意していた」と言う人がいますが、米政府の決意は侵略を拡大する日本に対する警戒感に過ぎない。そして決意するのと実際に攻撃を仕掛けるのとでは雲泥の差があります。

世界史上、国同士が戦争を決意して長い間にらみ合っている事はいくらでもある。太平洋戦争はアメリカが攻めてきたので日本が反撃して始まった戦争ではない。日本の国策は南方侵略で、その邪魔になりそうな米英を叩いておこう、と始めたのが太平洋戦争でした。当時の政府の資料に明確に書かれています。

日本が太平洋戦争を起こした主因の一つとしてアメリカによる対日石油禁輸が言われます。当時の日本の国策は南方を侵略して資源を奪う事でした(この計画を聞いて、東條英機ですら「泥棒をしろと言うんだな」と笑ったそうです)

対日石油禁輸でそのタイミングが早まったとは言えますが、それまでは石油を始め重要戦略物資も欲しいだけ獲得出来ていた。日本の中国侵略がピークに達した1940年度ですら、日本の石油需要量の86%をアメリカが供給した。このどこが「アメリカによる経済圧迫」でしょうか??

そしてその対日石油禁輸も日本の侵略拡大に対する「警告」で、日本が侵略政策を改めていたら再び石油も重要資源も入ってきたのですが、日本は戦争を選びました。それが石油禁輸やハルノートなどのかなり前からの日本の国策だったのです。

日米交渉での日本の要求は「侵略はやめない、口を出すな、しかし石油はよこせ」というものでした。 どんな内容の要求でも相手が受け入れないのは相手が悪い、と。 そんな事が通るわけがありません。当時、山本五十六はのちの海軍大臣・嶋田繁太郎にこう書き送っています、「現政府のやり方はすべて前後不順なり。今更米国の圧迫に驚き、憤慨し困難するなどは、小学生が刹那主義にてウカウカと行動するにも似たり」、と。

そして小学生並みの刹那主義でウカウカと行動した当時の日本政府・軍部は世界史上最強の軍事超大国アメリカに戦争を仕掛け、明治の先達が営々と築きあげた日本をつぶしてしまいました。

ハルノートを受け入れていたら日本はアメリカの奴隷になっていたと言う人がいますが、とんでもない勘違いですね。こちらから仕掛けた戦争に完敗し、連合国の降伏条件をすべて受け入れて降伏したあとですらアメリカの奴隷、植民地にならなかったじゃないですか。

たった6年のアメリカによる寛容な占領ののち、植民地化されるどころか再独立し民主主義、平和主義を基礎に、アメリカの産業すら圧倒する経済大国に成長しました。アメリカの奴隷から程遠いですね。

日本としてはハルノートを受け入れ、中国、仏印にいた百万の大軍隊を日本に戻し、海軍は引き続き世界第三位(あるいは第二位)の精強な大艦隊、そしてアメリカとは最恵国待遇の通商関係を結ぶ。日本経済に深刻な悪影響を与えていた日中戦争が終わって日本の景気は活性化し、更に大国になる、、、そんな日本が外国の植民地になるわけがありません。

日本がドイツと組んで米英を中心とする自由主義世界に対抗したのはドイツの勝利が大前提になっていました。しかし昭和16年11月末の時点ではドイツの敗勢はそろそろ明らかだった。その様な世界情勢の中で軍事大国・日本が中立を保っておれば国際社会における発言力、影響力は相当なものになっていたでしょうね。国際連盟に常任理事国として復帰、米英ソなどと対等に付き合っていく、と。しかし経済や国際情勢が理解出来ず、好戦主義、侵略主義で暴走した東條に付き合わされた日本人は地獄を見ました。
なるほど、だまされる人はこうやって騙されていくんだな・・・という感じです。

ポイントとなるのは、

 ・ハルノートが突きつけられる前に、既に日本軍はアメリカとマレーに向けて大規模な軍隊を進出していた。

 ・ハルノートは、冒頭に「暫定的」「拘束力のない」「提案」「草案」と書かれており、「最後通牒」と呼ぶには程遠いものであった。

 ・ハルノートの中でアメリカの唯一の「要求」は中国・仏領インドシナから軍隊・警察力を引き揚げる事だけである。
 日本がパリ不戦条約、九ヶ国条約を破って満州・中国を侵略し、フランスがドイツに負けたどさくさに仏印を侵略していたのだからこれは当然であり、且つハルノートには「いつ、どんな方法で」撤退すべきなのかは書かれていない。

 ・ハルノートには、「三国同盟を解消しろ」とは書かれていない。

 ・ハルノートには、中国大陸における日本の権益や満州についてもまったく書いていない。

といったところでしょうか。その他にも随分ツッコミどころ満載な回答ですが、ここまでシリーズを読んでいただいた皆様には、どこがおかしいのか、というところはもうご理解いただけるのではないでしょうか。

勿論検証が必要な部分も多々ございますので全否定はできません。

実は、上にピックアップした事例は、ツッコミどころ満載である上記回答の中でも特に、「検証」しなければその実態を説明することができない部分です。

次回記事に於きましては、上記ピックアップ部分について検証することから、まずは「ハルノート」の検証を進めていきたいと思います。


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