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この記事のカテゴリー >>十五年戦争(日中戦争)の原因と結果

蒋介石北伐孫文広東軍政府
<継承する記事>
第131回 孫文の後継者「蒋介石(しょうかいせき)」~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

前回の記事では、孫文の死後、「孫文の後継者」たる人物として、蒋介石がその実力の下、メキメキとその頭角を現し、他の実力者たちが政治の表舞台から姿を消す中で、ついに蒋介石を上回る実力者が唯一汪兆銘のみとなるその足跡を追いかけてみました。

また、この当時の時代背景として、第124回の記事でお示しした様に、もう一つの歴史の中心舞台である「北京」では、馮玉祥が北京政変の後、自身が平定したはずの北京政府で、張作霖に対して対してクーデターを仕掛けていた、という背景があります。

クーデターを起こしたのは馮玉祥だったのですが、彼は翌年1月には宣戦を離脱しています。
実際に張作霖らと戦ったのは馮玉祥が離脱した後の軍隊(西北陸軍)で、圧倒的に不利な自供に追い込まれながらも同年8月まで戦い抜いています。

問題なのは、離脱した後の馮玉祥がソビエト連邦を訪れており、ここで「ソ連の支援する中国国民党」への入党を宣言しており、ソ連からの支援を取り付けていた、ということ。この時点での馮玉祥は、『赤(共産系)』とみられる立場にあったわけですね。

舞台が目まぐるしく動きますので、中心となる二つの地域をあらかじめ掲載しておきます。

【北京】
565px-China_Beijing.png

【広東省】
広東省

【本日のテーマ】
本日の記事ではまず、孫文が一躍国民政府のトップに躍如するきっかけとなった「中山艦事件」とその後に敢行された「北伐」。
またさらにその後の中国国民党V.S.中国共産党の対立の発端となる「上海クーデター」。
そして最終的に蒋介石による中国統一まで話題を勧められればと考えています。

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北伐蒋介石孫文広東軍政府中国国民党中国共産党
<継承する記事>
第130回 蒋介石という人物(後編)~なぜ日本は大東亜戦争を起こしたのか~

それにしても、袁世凱没後の中国って本当にややこしいですね。

前回の記事では、特に第121回の記事と対比させる形で、清朝崩壊後の中国を第121回の記事では孫文の視点から、前回の記事では蒋介石の視点から追いかけてみました。

孫文の視点から見ただけではわからなかった部分が、蒋介石の視点も交えて見ることで、少しずつ風通しがよくなってきた気がします。

また、第124回の記事では、同じ時代とりわけ五四運動以降の中国を、北京政府(北洋政府)側の視点から、追いかけ、最終的に孫文の歴史と北洋政府の歴史が繋がる場面まで掲載しました。

また、第125回の記事では、五四運動がきっかけとなり中国に誕生した中国共産党について掲載しました。

まるでパラレルワールドの様にして展開してきたこれらの歴史が、いよいよ一つにつながる場面まで到達しました。

【国民革命軍を率いる蒋介石:Wikiより】
国民革命軍を率いる蒋介石

【本日のテーマ】
ソ連による影響力がとても大きくなる状況の中で開催された『中国国民党第1回全国代表大会(党大会)』。

「革命」という思想に憑りつかれて中々冷静な判断ができない孫文に対して、時に反発し、政治や軍事の場面から頻繁にフェイドアウトする蒋介石ですが、共産党の勢力が浸透しつつある中国国民党の中で、彼は『黄埔軍官学校』の校長として就任し、その生徒たちとも絶対の信頼関係を築くことになります。

ですが、孫文からどれほどの信頼を得ているとは言っても、彼の立場はまだまだ政治の舞台の中心として活躍できるほどの地位にはありませんでした。

特に孫文亡き後の中国において、一体蒋介石がどのようにして政権の中心にまでのぼりつめ、果ては中国統一を成し遂げるほどの実力者となりえたのか。
今回の記事では、そんな蒋介石のたどった軌跡を追いかけてみます。

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