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この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


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第293回 ロシアとウクライナ/ユダヤ人のロシア流入までの歴史

本筋から外さないために、どこから記せばよいか・・・ととても迷ったのですが、今回のタイトルはこんなタイトルで始めてみます。

第293回の記事 でも記しましたが、ウクライナは元々「キエフ大公国」という名称で、現在のイメージだと、「ソビエト連邦」という国の中に含まれていた国で、「ロシア」がソビエト連邦の大部分を占めていることから、ウクライナはロシアに支配されていた国だ・・・というような印象も強いかもしれませんが、元々「ロシア」の方がウクライナの原型であった「キエフ大公国」より派生した国。

言うなれば「ウクライナ」が親で「ロシア」が子であった、という表現の方が近いかもしれません。
事実、モスクワ公はキエフ公の子供がキエフ公より譲り受けた「ウラジーミル・スーズダリ公」が元になっているわけですから。

キエフ大公国がモンゴルに支配されたのち、キエフ大公国を引き継いだのが「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」。
同時期、モスクワ大公国の原型であるウラジミール大公国もモンゴル占領下において存在していました。

ところが、キエフ大公国を引き継いだ「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」は、ハールィチ・ヴォルィーニ大公の血筋が途絶えてしまい、このことから一気に国力が衰退し、ポーランドとリトアニアに分割統治されることとなってしまいます。1349年)

ポーランドとリトアニアは、元々対立し、お互いに戦争を行う関係であったわけですが、共通の敵であるドイツ騎士団等に対抗する必要性に駆られ、ポーランドとリトアニアは同盟関係を結び、「ポーランド・リトアニア連合」となります。(1387年)


フメリニツキーの乱

1569年、ポーランドとリトアニアは、両国の元首を同一の人物が兼ねることにより、「ポーランド・リトアニア共和国」となります。

さて。1648年、そんな「ポーランド・リトアニア共和国」において、「フメリニツキーの乱」と呼ばれる武装蜂起が行われます。
この武装蜂起を主導したのが、「ボフダン・フメリニツキー」という人物。

【ボフダン・フメリニツキー】
フメリニツキー

彼は、ポーランド・リトアニア共和国王によって編成された「登録コサック」の一員で、反乱を起こす際には「ウクライナ・コサック」の指導者でもありました。

「コサック」の起源は明確ではないものの、そのルーツはウクライナにあり、その中にはキエフ公国の元士族・豪族も含まれていたのだとか。

没落した貴族と盗賊の集団であった、とのことですが、ロシアやポーランド・リトアニア等では軍人として重用されていた様子が見られます。

そんな中で、「登録コサック」とは、同じ「コサック」でも、国が正式に認めた「コサック」で、ロシア帝国時代には「貴族」としても認められていたのだとか。


そんなフメリニツキーの領地が、ポーランド貴族であるダニエル・チャプリンスキによって襲撃され、フメリニツキーの恋人であったモトローナ・チャプリーンシカまでも奪い去ってしまいます。

フメリニツキーはこのことを最高裁判所に対して提訴するのですが、敗訴。
さらにダニエル・チャプリンスキの手によって投獄されてしまいます。

ところが、フメリニツキーは警備長の手によって救い出され、ウクライナ・コサックの拠点がある、「ザポローシ゛ャ」へと逃げ出すことに成功します。

彼は、元々その経験や戦果、豊富な知識、家柄等も含めて、ウクライナ・コサックから尊敬される存在にありました。
彼は、ウクライナ・コサックを率い黒海北部、「クリミア・ハン国」のクリミア・タタール人(モンゴル人、というわけではないらしい)とも同盟関係を結び、ザポローシ゛ャに派遣されたポーランド政府軍に勝利します。

これを機に、フメリニツキーがポーランド政府を相手に起こした反乱が、「フメリニツキーの反乱」と呼ばれるものです。


第293回の記事 でもお伝えしましたように、この当時のポーランド政府は、ユダヤ人に対して世界で最も寛容な政府でした。

ポーランド政府は、ユダヤ人を初めとする、異国の知識人を優遇し、自国の農民を管理する立場に当たらせていました。

特にウクライナはポーランド政府から離れていることもあり、「農奴」として働かされていた農民たちの不満は鬱積していました。
また過去に反乱を起こしたウクライナ・コサックたちは軍人としての資格や自治権を奪われて農奴としての扱いを受けていたこともあり、反乱を爆発させる材料が勢ぞろいしていた・・・当時のウクライナはそのような状況に在りました。

ですので、当然自分たちを管理していた「ポーランド人とウクライナ人の貴族・カトリックの聖職者・ユダヤ人の収税吏と官吏」もさることながら、「反乱軍に加わらない、あるいは反乱を支援しない者も身分・宗教・民族を問わずに惨殺(Wikiより)」されます。

また、「一時期コサックの同盟者であったタタールはウクライナの町村でほしいままに奴隷狩りを行った」とのことで、この反乱で殺害されたユダヤ人の数は数万単位に上るのだとか。この話は、飽くまで余談ですけどね。


「ザポロージャのコサック軍」誕生

「ザポローシ゛ャのコサック軍」とは、軍の二つ名の様ではありますが、これ、れっきとした国の名前なんです。
タイトルで( )書きしている「ヘーチマン」とは、コサックの指導者の事。

「ヘーチマン国家」とは、コサックの指導者であるフメリニツキーが設立した国家である「ザポローシ゛ャのコサック軍」の通称になります。ヘーチマン国家誕生を受けて、初めて「ウクライナ人」が、この「ウクライナ」にルーツを持つ民族名として用いられるようになります。

「フメリニツキーの反乱」の結果、ウクライナにはこの「ヘーチマン国家」が誕生します。(1649年)
フメリニツキーはポーランドへの反乱期間中、継続してロシアに援軍を求めていたのですが、ロシアはこれを拒否し続けます。

最終的に、フメリニツキーは「援軍」を求めるのではなく、「ロシアの保護下」に置くことを要求。
1653年7月2日、ロシアはフメリニツキーの要求に応じることを約束。1654年1月18日、このことが正式に誓約されます。


ロシア・ポーランド戦争開戦

ウクライナが自国の保護下に置かれたことで、ロシアはポーランド対ウクライナ戦に参戦することになります。
このことを受け、ウクライナと同盟関係にあったクリミアは同盟を破棄、逆にポーランドと同盟関係を結びます。(1654年6月)

また更に、ポーランド・リトアニア共和国と対立関係にあったスウェーデン王国が参戦(1655年夏)。
フメリニツキーは自軍が優勢となったことから、クリミア・ハン国と再度交渉にあたり、自軍に復活させます。


ところが、決着が見え始めると、今度はウクライナ領土をめぐってスウェーデン、ロシア、ヘーチマン国家の間で対立が顕在化。1656年5月、ロシアはスウェーデンに対して宣戦布告し、今度はポーランド・リトアニアに対して和平を申し入れます。

和平交渉への参加を拒否されたことから、フメリニツキー軍はロシアとの国交を断絶し、スウェーデンに援軍を派遣します。
しかし、ここに至ってフメリニツキーは病床に倒れ、脳梗塞によって死去。

指導者を亡くしたコサック軍は空中分解し、内戦状態へと陥ります。

1718年スウェーデンの指導者であるカール12世が死去。スウェーデンが和平を申し出たことからこの戦争は終結し(1721年)、ロシアは一挙に北方最強国へとのし上がります。

1721年10月22日、「ロシアツァーリ国」改め、「ロシア帝国」が誕生します。


この後、1795年、ポーランドはロシア・プロセイン・オーストリアの三国で分割され、ポーランド・リトアニア共和国は「国家」として事実上消滅してしまいます。

「ウクライナ」にユダヤ人が大量に流入したことが、ロシアに大量のユダヤ人を招き入れる原因になった・・・と考えていたのですが、「ウクライナ」だけでなく、そもそも「ポーランド」そのものが分割されてしまったことによってロシアは大量のユダヤ人を国内に招き入れることとなったんですね。


さて。次回より、いよいよ部隊を「ロシア」へと移動し、時間軸もできれば「ロシア革命」まで進めることができれば、と考えています。


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第294回 アキエリークスとメール全文を比較(森友問題について)

前回の記事では、アキエリークス に掲載されている内容を下に、証人喚問に於いて籠池理事長が吐いた明らかな「嘘」と、証人喚問以前から籠池理事長と野党4党の間で何らかの「密約」が行われていたのではないかと考えられる、その「証拠」について記事にしてみました。

今回の記事では、もう一つのテーマである、昭恵夫人付官僚である谷査恵子氏から、籠池理事長に宛てて送信されたFAXに関連した情報を記事にしたいと思います。


問題になっているFAXとは?

籠池FAX1

塚本幼稚園 幼児教育学園
総裁・園長
籠池 泰典様

前略 平素よりお世話になっております。
先日は、小学校敷地に関する国有地の売買予約付定期借地契約に関して、資料を頂戴し、誠にありがとうございました。

時間がかかってしまい申し訳ございませんが、財務省本省に問い合わせ、国有財産審理室長から回答を得ました。

大変恐縮ながら、国側の事情もあり、現状ではご希望に沿うことはできないようでございますが、引き続き、当方としても見守ってまいりたいと思いますので、何かございましたらご教示ください。

なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております。

内閣総理大臣夫人付
谷査恵子

※明日より出張のため、携帯番号がしばらくつながらない可能性がございます。
ご迷惑をおかけいたします。


籠池FAX2

籠池様

平素よりお世話になっております。
先日頂戴しました資料をもとに、財務省国有財産審理室長の田村嘉啓氏に問い合わせを行い、以下の通り回答を得ました。

1) 10年定借の是非
通常、国有地の定借は3年を目安にしているが、今回は内容を考慮し、10年と比較的長期に設定したもの。他の案件と照らし合わせても、これ以上の長期定借は難しい状況。

2) 50年定借への変更の可能性
政府としては国家財政状況の改善をめざす観点から、遊休国有地は即時売却を主流とし、長期定借の設定や賃料の優遇については縮小せざるをえない状況。介護施設を運営する社会福祉法人への優遇措置は、待機老人が社会問題化している現状において、政府として特例的に実施しているもので、対象を学校等に拡大することは現在検討されていない。

3) 土壌汚染や埋設物の撤去期間に関する賃料の扱い
平成27年5月29日付 EW第38号「国有財産有償貸付合意書」第5条に基づき、土壌汚染の存在期間中も賃料が発生することは契約書上で了承済みとなっている。撤去に要した費用は、第6条に基づいて買受の際に考慮される。

4) 工事費の立て替え払いの予算化について
一般には工事終了時に清算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している。平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中。

この2枚のFAXです。


2枚のFAXは本当に問題なのか?

では、そもそもこのFAXがなぜ問題になっているのか。
マスコミ報道等を見ていると、安倍首相が2月17日の国会予算委員会に於いて、学校法人「森友学園」に対する国有地払い下げ問題への関与の関与を民進党福山議員より問われた際、

「私や妻は一切関わっていない。もし関わっていたら間違いなく、首相も国会議員も辞任するということを、はっきり申し上げる」

と返答したことにこのFAXの内容が反するからだ、と盛んに煽っています。
その理由として、当初野党やマスコミが主張していたのは、このFAX文章の中に、

「なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております」

と掲載されていることを挙げていました。

即ち、昭恵夫人に報告しているということは、昭恵夫人付である谷さんが、昭恵夫人より指示を受けて財務省国有財産審理室長である田村嘉啓氏に問合せを行い、このことが後の国有地払下げに於ける8億円の値引きにつながったのではないか、という主張を展開していました。

そしてこれこそが、「安倍首相並びに安倍首相夫人が、国有地払下げ問題の値引きに関与していたという動かぬ証拠ではないか」というのが野党や各マスコミの主張です。

ところが証人喚問が行われた翌日。証人喚問に登壇した西田昌司議員と安倍首相とのやり取りの中で、そもそもこのFAXは、谷さんが昭恵んより指示を受けて動いたわけではなく、籠池理事長が昭恵さんではなく、谷さんに対して直接郵送した手紙に対する回答である、ということが暴露されてしまいます。

籠池手紙
こちらの画像はフジテレビが公開していたものを拝借いたしました。
この画像が、籠池理事長が谷夫人付に郵送されたとされる手紙の封筒、及びその全文です。

フジテレビが加工しているのは消印の日付をクローズアップしている部分だけですから、ほぼ原文のままです。文字が小さすぎて読めませんけどね。もしクレームが来ればこの画像は削除します。


さて。ですが、ここでいったん思い返してみてください。
この2枚のFAX用紙がここまで問題になったのはいったいなぜでしょう?

FAXに掲載されている内容が安倍首相の発言と矛盾するから?

いえ、違います。
理由はこちらの報道より。

【籠池泰典氏証人喚問】(産経ニュースより)
詳報(2)「国有地買い上げ条件を変更できないかと昭恵夫人の携帯に電話した」「口止めともとれるメールが届きました」

「次に土地の取引について申し上げます。

小学校の建設用地である、あの豊中の国有地の存在については、不動産屋さんから平成25年に紹介を受けました。これはすばらしい場所だと思い、小学校のために土地を確保したいと思いました。

その土地は国有地ということで、平成27年9月29日に定期借地契約を締結しました。

その土地の買い上げの条件として、10年だったものをもっと長い時間へ、期間へ、変更できないかとの思いから、私たちの教育理念に賛同している昭恵夫人に助けをいただこうと考えまして、昭恵夫人の携帯に電話をいたしました。平成27年の10月のことです。

留守電でしたのでメッセージを残しました。すると、後日、内閣総理大臣夫人付きの谷査恵子さんという方からご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました。


平成27年11月17日に、谷査恵子さんからいただいたファクスでは『大変恐縮ながら、現状では希望にそうことはできない』『なお、本件は昭恵夫人にもすでに報告させていただいております』というお言葉をいただきましたが、お骨折りに感謝しておったところであります」


もう一度黒文字の部分をピックアップしてみましょう。

私たちの教育理念に賛同している昭恵夫人に助けをいただこうと考えまして、昭恵夫人の携帯に電話をいたしました。平成27年の10月のことです。

留守電でしたのでメッセージを残しました。すると、後日、内閣総理大臣夫人付きの谷査恵子さんという方からご連絡をいただき、なかなか難しいとのお返事をいただきました。

そう。この2枚のFAXが一体なぜここまで問題になったのか。

答えは、証人喚問において籠池理事長が、

 「(土地の取得に関連して)昭恵夫人に残した留守電のメッセージに対する回答として(夫人付である谷さんから)2枚のFAXをもらった」

と証言したからここまで問題になったのです。

ですが、その翌日、安倍首相より谷さんが送ったFAXはそもそも籠池理事長が昭恵夫人の携帯に残した(と籠池理事長が主張している)メッセージに対するものではなく、籠池理事長が谷さんに対して直接送った手紙に対する回答であったことが暴露されてしまいます。

一万歩以上譲って、仮に籠池理事長が昭恵さんの携帯にメッセージを残したということが事実であったとしましょう。だとすれば、普通その後送られてきた手紙は、谷さん宛ではなく、昭恵夫人宛になるのではないでしょうか。

仮にその後昭恵夫人より籠池理事長に対して返答があり、「私のお世話をしてくれている谷さんが対応しますので、詳細を谷あてに送っていただけませんか?」 といった情報が昭恵さんから籠池理事長に伝えられていたのだとしたら、まだわからない話ではありません。

ところが、午後の衆議院証人喚問に於いて、自民党の葉梨議員との間で、こんなやり取りがなされています。

【籠池泰典氏証人喚問】(産経ニュースより)
詳報(19)元警察官僚の自民党議員が追及 「平成27年10月の消印がある。籠池さんの話は間違っている」

葉梨氏
「私、昭和58年に大阪府警の捜査2課で勤めてまして、平成元年から平成3年までは兵庫県警の捜査2課におりまして、あのへん、多少、土地勘はあるんで、午前中のお話も懐かしく、お聞きしておりました。

そこで、籠池さんに質問なんですか、午前中いくつかですね、論点の新しいお話も出ましたので、それを一つ一つ申し上げておきたいと思います。

午前中の参議院の質疑の中で、民進党議員の方からの質問でした。

(安倍晋三首相の)昭恵夫人に1回だけお願いをしたことがあります、ということを言われました。午前中のお話では平成27年の10月頃に、昭恵夫人の携帯に籠池さんが電話をされて、まず、留守電に入れておいたということですが、これについて返信はありましたか


籠池氏
返信の方はございません。今のことについて、参議院でお話しさせていただいたこと、ちょっと訂正をさせていただきますが、昭恵夫人が、当学園の名誉校長になられる前のことでございました。それだけお伝えいたします」

そう。籠池氏は、つまり彼が昭恵夫人に対して残したメッセージに対する回答は、昭恵夫人本人からは「なかった」とはっきり答えているのです。

だとすれば、なぜ籠池氏は土地取得に関する詳細な内容に対する問い合わせを、昭恵夫人宛ではなく、谷夫人付宛に郵送しているのでしょうか?

そう。彼はここで大きな嘘を堂々とついているんですね。
まかり間違ってこれが嘘ではなかったのだとしても、この一連の流れの中で、彼が「虚偽の証言を行っているのではないか」ということがまず第一に話題に上がるのが本来の国会のあるべき姿なのではないでしょうか。

更にもう一つ。上記葉梨議員とのやり取りは以下の様に継続します。

(籠池氏の、「参議院でお話しさせていただいたこと、ちょっと訂正をさせていただきますが、昭恵夫人が、当学園の名誉校長になられる前のことでございました。それだけお伝えいたします」という答弁を受けて)
葉梨氏「昭恵夫人が名誉校長になられたのは平成27年の9月で間違いございませんね」

籠池氏「そのとおりでございます」

葉梨氏「平成27年の9月に名誉校長になられて、そのあとに、昭恵夫人付きの職員に、あなたが手紙を書かれたことはありますか

籠池氏「今の時系列の違いですが、昭恵夫人が名誉校長になられる前に、私は手紙を書いたことはあります

葉梨氏「これはその手紙でしょうか。これは籠池さんが書かれたものですか」

籠池手紙

籠池氏「はい、あの、そのあて名書きは私の字体ではありませんが、家内の方で書いたものだと思います

葉梨氏「これは平成27年の10月の消印がございますので、名誉校長になられてから後ということでございますので、籠池さんのお話は間違いということになります。そして、その後しばらくしてなんですが、手紙を書いてから、職員が役所から聞いた説明をファクスで回答されたということでしたが、それは間違いございませんね」

籠池氏「はい、それは間違いございません。今、私の手元にもございますから、これをごらんになっていただいたら、いいんだと思います」

葉梨氏「ファクスで回答が来たと。それは小学校用地を10年の売買予約付き定期借地契約で契約をしたけど、これが50年にならないかという内容だったと、午前中、お話をされましたね。これが値下げにできないかという相談や工事費の立て替え払いの相談をしたわけですよね。これも確認いたします。午前中も同じお話をしてますから」

籠池氏「はい、そのとおりでございます。あの、ただ議員お示しのその封筒をもう一度、私見せていただかないと、それが私、私が私の自筆で書いておりますので、それは私の自筆じゃございませんので、それをお伝え申し上げておきます

葉梨氏「ただ、その相談を受けた職員が財務省に確認したところ、すべての法令、行政実務、さらには締結されている契約書等に照らして、ご希望に沿うことができないという回答がファクスであったということも間違いありませんね」

葉梨さん、ここは少し焦ったな、とは思うのですが、この時点で葉梨議員は封筒のコピーしか持っていませんでしたので、封筒の中身を示すことができませんでした。

ですが、後の報道内容等を見ていると、この封筒の中身は籠池氏が自筆で記していることはほぼ明らかにされています。
私はここで、封筒の中身を記したのは籠池氏自身だったのに、籠池夫人が記したと証言したことが「嘘」ではないか、とかそんなちっぽけな話をしたいわけではありません。

私が取り上げたいのは上記で赤色で掲載している部分。
彼は、葉梨氏の質問に対して、「昭恵夫人が森友学園の名誉校長になった後に谷夫人付に対して手紙を書いたことはない」と安に主張しているのです。

ですが、仮に封筒の中身の筆跡が彼自身の筆跡であるということが事実だとすれば、彼は昭恵夫人が名誉校長になった後、谷さんに対して手紙を書いたことがある、ということが事実だと証明されてしまいます。

そう。彼は自分自身が昭恵夫人が名誉校長に就任後、谷さんに対して手紙を書いているのに、「書いていない」という嘘をついているのです。

ではなぜ彼はそんな嘘を吐いたのか。
答えは簡単です。

 「(土地の取得に関連して)昭恵夫人に残した留守電のメッセージに対する回答として(夫人付である谷さんから)2枚のFAXをもらった」

という今回の証言の肝ともいえる、最大の「大嘘」との間での整合性が取れなくなるから。

籠池氏がここまであからさまな大嘘をついているわけですから、本来マスコミで取り上げるべきなのは、籠池氏のこの証言内容と事実との大幅な乖離であるべきであるはずです。

ところが、なぜかマスコミでは全く逆の報道姿勢を貫いていますね。

【昭恵氏も証人喚問を】(朝日新聞ニュース)
「昭恵氏も証人喚問を」豊中市議らが衆参議長に申入書

木村真・大阪府豊中市議ら関西の地方議員約50人が17日、安倍昭恵氏らの証人喚問を求める申入書を衆参両院の議長や二階俊博・自民党幹事長らに送った。

木村市議らは、森友学園が目指した小学校建設を巡り、国有地取得の交渉が学園側に非常に有利に進んだ背景には、名誉校長に就任(問題発覚後に辞任)した昭恵氏に国側が配慮した可能性があると指摘。昭恵氏のほか、交渉当時の財務省理財局長や近畿財務局長らの証人喚問も求めている。

 学園の籠池泰典氏は、安倍晋三首相から昭恵氏を通じて100万円を寄付されたと証言したが、安倍首相や昭恵氏は否定。籠池氏1人が証人喚問の対象になっている。木村市議は「昭恵氏も証人喚問して検証するべきだ」と話した。

 木村市議は、学園への国有地の売却価格を非公表としたのは不当として、大阪地裁に国を訴えている。

さて。今回反芻した籠池理事長の証言内容と、野党及びマスコミの対応から想像されることなのですが、

・野党は事前に2枚のFAX文面を既に入手していた
・与党側が既にFAX文面を入手しており、これをベースに質疑を行ってくることを想定していなかった
・野党は籠池氏との間で、証人喚問以前に直接このFAX文面に対する質疑シナリオをお互いに共有済みだった

また更に、
・マスコミも一枚噛んでいて、

 「報道を通じて絶対に籠池さんを有利にしますから、このシナリオでいきましょう」

といった裏合わせも既にできていたのではないでしょうか?
それが、彼のあの強弁の真相だとしたら・・・。


工事費の立て替え払いの予算化について

モーニングバードでの報道
こちらは、昨日テレビ朝日「モーニングバード」にて用いられていた画像をシャメったものです。
証人喚問に於いて、籠池氏が持参していたFAX文面の画像で、「2枚目のFAX」にを撮影したもの。

このところ、ネット上でもこの「2枚目が重要である」という拡散情報を非常によく目にします。
籠池氏が「重要」と書いているこの部分。

これは、サブタイトルにも記した2枚目のFAX4項目、「工事費の立て替え払いの予算化について」という内容について示したものです。

再掲します。

4) 工事費の立て替え払いの予算化について

一般には工事終了時に清算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している。平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中。

マスコミや野党側は、この情報が、

「安倍首相夫人である安倍昭恵氏の夫人付である谷査恵子氏が交渉した為、森友立替分返済の期日が早まった証拠」

だとしているのです。

官邸側は、この谷さんのFAXを、「谷さんが財務省国有財産審理室長に問い合わせを行ったが、ゼロ回答であったということを示すものであり、首相や首相夫人が土地取引に関与していないことが証明された」としているわけですが、この官邸側の回答に対して、「ゼロ回答ではなかったという証拠だ」と必死に主張しています。

ですが、よく考えてみてください。
この文面、どう考えても谷さんが考えた文面ではないですよね?

「冒頭の以下の通り回答を得ました」以下の文面は、谷さんの考えた文面ではなく、「財務省国有財産審理室長の田村嘉啓氏」より送られてきた文面を、そのままFAX用紙に掲載したもの。

送信日時が2015年11月17日となっており、籠池氏が谷さんに郵送した封筒の消印が10月27日となっていますからこの間凡そ20日間の間のやり取りであることが解ります。

勿論封筒が届いてから、直に役所に問い合わせたわけではないでしょうし、おそらく昭恵夫人にも「どのような対応しましょうか」といった趣旨の問い合わせは行っているでしょうから、実際にはもう少し日数は短くなっていると推察されます。

ではたったそれだけの日数の間に、財務省国有財産審理室長である田村嘉啓さんが、

「総理大臣夫人である安倍昭恵さんの付き人である谷さんからこんな問い合わせがあった。総理府人の付き人の問い合わせだから、早急に善処してやってくれ」

とでも言って財務省内で手配したのでしょうか?
そんなわけがありません。

田村嘉啓さんが、

 『学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している』

と回答していることから、谷さんが問い合わせをするまでもなく、問い合わせをした時点で、

 「学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整」で、「予算措置がつき次第返金する旨の了解」は行われていた

ということです。
で、本来であれば27年度予算に間に合わせる予定だったけれども、残念ながら間に合わなかったので28年度予算に組み入れることにしていますよ、という返答を田村嘉啓さんが谷さんに対して行っただけのこと。

これを谷さんが一切加工することなくFAX文面に載せて籠池氏に対して送信した、ただそれだけのことです。

これって、「関与」したことになるんでしょうか?
谷さんは公務員ですから、職務の一環として行った事は、そりゃ「公務」になるのかもしれません。

だけどそんなことどうだっていいですよね? 本筋にはまったく関係ありません。

今話題になっている「忖度(そんたく)」すら行われているわけがありません。
せいぜい、谷さんが籠池氏からの要求に対して、

 「昭恵夫人の名誉もあるから、失礼のないよう、誠実に対応しなくちゃ」

程度の「忖度」でしょう。
もし本当に「忖度」が行われたのだとすれば、それは安倍首相や昭恵夫人ではなく、声が大きくワイワイとやかましく詰め寄ってくる籠池夫妻に対する「忖度」だったのではないでしょうか。

例えば、

 「ごみは表層部分の1億3千万円分しかないと聞いていたのに、掘ってみたらこんなにも大量のごみが出て来た。一体どうしてくれるんだ?

我々は小学校を建設する予定なんだ。小学生にこんなゴミの中で授業を受けろというのか。

撤去にだって莫大な費用が発生するんだ。もし開校までに撤去が間に合わず、開校が遅れたりしたらどう責任とってくれるんだ?」

といった後、
「もし開校が遅れたりしたら、損害賠償請求を行ったっていいんだぞ」

と。もちろん交渉を行ったのは籠池氏本人ではなく、酒井弁護士です。
「交渉」ですから、このくらいのことはありかもしれません。

で、財務省側が

「わかりました。表面の撤去費用には1億3千万円かかっていますし、お隣の給食センターでは14億円の土地を2000万円で払い下げた事例もあります。

今後、訴訟を含めた一切の責任を国側が行わないという条件(瑕疵担保責任免責)で、8億円値引きし、1億3000万円でお渡ししましょう」

といった結論を出した・・・といったところなのではないでしょうか。
まあ、このあたりは私の推測にすぎませんけどね。

ただ、一つだけ言えることは、偽証罪が成り立つ証人喚問

 「(土地の取得に関連して)昭恵夫人に残した留守電のメッセージに対する回答として(夫人付である谷さんから)2枚のFAXをもらった」

という大嘘を堂々と吐ける籠池理事長の問題が、一切議論されることもなく放置されたままにされていることにあるのではないでしょうか?

で、そんな籠池理事長と昭恵夫人と、どちらが本当に信頼できるのか、考えるまでもないと思いますけどね。


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「森友学園問題」。
直接言及するのは 第285回の記事 限りにしようと思っていたのですが、マスコミ報道の姿勢や維新・こころを除く野党の姿勢を見ていますと、どうにも我慢がなりません。

犯罪でもなんでもない事項をここまで徹底して取り上げ、あたかも犯罪が行われたかの様に取り扱う姿勢にはほとほと嫌気がさします。

そこで、今回はまずは籠池夫人と安倍昭恵さんとの間で行われたメールのやり取りと、もう一つ、元安倍昭恵夫人付官僚でいらっしゃいました、谷査恵子さんが、籠池氏からの手紙に対して行った返信FAXについて、二部構成で記事を作成したいと思います。


アキエリークスとメール全文を比較

さて。タイトルに掲載しています、「アキエリークス」とは何かと申しますと、こちら。
アキエリークス

Facebookで、自由党寄りの主張を展開する方の投稿へのコメントにて紹介されていたのを見て私も初めて知りました。
どんな内容かといいますと、先日安倍首相サイドにて全文が掲載されたメール内容の写真が、合計70枚掲載されているブログ記事です。

こんな感じです。

【籠池・明恵夫人メール】
籠池・明恵夫人メール0

一番特徴的な部分を取り上げてみました。
よく見てみますと、日時が2017年2月25日17時28分。

そして「From あべあきえ」となっていますので、安倍昭恵夫人よりどなたかに送信されたメールである、ということが分かります。
勿論相手は籠池夫人。つまり、この画像はメールを受け取った側である籠池夫人がこの「アキエリークス」を作成した誰か、第三者に対して提供した画像である、ということになります。

上記記事が投稿されたのは2017年3月24日。
2名はてなブックマークをしていまして、リンク先であるはてなブックマーク まで訪問しますと、はてなブックマークに掲載された時間が 「2017/03/24 19:32」 となっています。

年別でみても、2017年、つまり 今年一年間で投稿されている記事 は唯一この記事のみ。

2016年 で見ても、2015年でみても、投稿されている記事は一つもありませんから、おそらく今回のメール画像が投稿された記事が初の投稿であり、且つ唯一の投稿であるのは間違いないものと思われます。

何が言いたいのかと言いますと、例えば過去に何度も記事が投稿されていて、そのブログなりホームページなりのファンが既についているサイトであれば、例えば記事が投稿されてそう時間が経たないうちにはてなブックマークをつけることはあるでしょうが、このブログは今回対象としている記事が初めての記事であり、この記事の存在は誰も知らなかった、と考えられるということです。

にも関わらず、このj記事が投稿されたまさにその日に、特に一番最初にブックマークを付けた人は、このブログを投稿した人本人か、またはその関係者なのではないか・・・と考えられるということです。まあ、このネタは話の本筋ではありませんので、ここまでにします。


さて。改めて先ほどの画像を見てみますと、ここには以下のようなメール文が掲載されています。

「私もよくわかりませんが、色々気を付けなくてはいけないことがあります。
わたしが関わったということは、裏で何があるのではと疑われないように」

さて皆さん。

この文面をみてどのように感じるでしょうか?
何となく、「安倍昭恵夫人から籠池夫人に対して何等かの圧力がかけられたのではないか?」と感じませんか?

では、ここで籠池理事長が証人喚問に於いて行った発言を振り返って見ましょう。

【籠池理事長証人喚問詳報(2)4/5より/産経ニュース】
詳報(2)「国有地買い上げ条件を変更できないかと昭恵夫人の携帯に電話した」「口止めともとれるメールが届きました」
「この問題が国会で議論されるようになってから、私の妻のところに昭恵夫人から、ご夫妻が今、大変なことは想像がつきますが、『主人にとっても大変なことに巻き込まれたということも理解いただきたいと思います』とか、

『私がかかわったということは裏で何かがあるのでは』と疑われないように

という、口止めともとれるメールが届きました。あんなに私たちの学校の開校を楽しみにしてくれていて、考え方に非常に共鳴しているのです、とか、森友学園の先生の教育に対する熱意はすばらしいという話を聞いていると総理もおっしゃっていただいていたのに、どうしてなのか割り切れない思いです」

 「私は純粋に、自分の理想とする教育を実現するために、小学校設立に夢中になって走り続けてまいりました。その途中で、多少無理をしてしまったことはあるかもしれません。でも私が、昭恵夫人や畠先生にお願いした先でどのような対応がなされたというのは本当にわかりません」
こちらは、産経ニュースより、籠池理事長が行った証人喚問に於ける全文が掲載された記事より抜粋したものです。

この中で、私が太文字にしている部分を見てみましょう。

『私がかかわったということは裏で何かがあるのでは』と疑われないように という、口止めともとれるメール

籠池・明恵夫人メール0

あれ?
確かに、明恵夫人より、「口止めともとれるメール」が届いていますね。

ですが、もうすでに安倍首相側より配信されている情報でもご存知の方は多いと思いますが、このメールには続きがあります。

【籠池・明恵夫人メールの続き】
籠池・明恵夫人メール0-2

そう。これはショートメール画面ですから、文字数に限りがあり、細切れになっているんですね。

つまり、

「私もよくわかりませんが、色々気を付けなくてはいけないことがあります。
わたしが関わったということは、裏で何があるのではと疑われないように、細心の注意を払わなければならなかったということだったのでしょう

これが、メールの「全文」です。

では更に、証人喚問に於ける籠池氏の答弁に対して翌日の参議院予算委員会に於ける西田昌司議員の質疑に対する安倍首相の答弁を見てみましょう。

【森友学園参院予算委 西田昌司議員質疑】
安倍首相
「今回、このメール、残念、ここで公表されなかったのは残念なんですが。

メールのやり取りを全て、籠池氏の奥さんとうちの妻とのメールのやり取りは全て正直に公開させていただいております。妻は、相手方が完全に了解しなければということで一切出してこなかったんですが、私はこれ見ましたから、これ出せば、分かるじゃないかといってきたんですが、相手方がそうではなかったものですから今日に至っている。

ここに至って公開させていただいたところでございます。

いずれにしても私の妻も、こうした役職(森友学園が新設する小学校の名誉校長)を引き受けるにおいては慎重でなければならなかったという趣旨のことは申していたわけでございます。

しかしメールの一部を使って、メールで口止めをしたと籠池氏がおっしゃっていることは、極めて、もう一度申し上げますが、極めて遺憾であり、その中で例えば勘ぐりをされる。

まっとうな人間がまっとうなことをしているのを阻止されるなどという籠池夫人からのメールに対して、李下に冠を正さずという趣旨で(昭恵夫人が)返信したものであるということは明らかでありまして、(籠池氏側の主張が)悪意に満ちたものであるということは申し上げておきたいと思います


さて。ここで一つ疑問がわいてきます。
籠池理事長は、一体何を見て「口止めともとれるメールが届きました」と証言したのでしょう。

もちろん私は籠池理事長を擁護するつもりはさらさらありません。ですがあくまでも仮定の話ですが、

籠池・明恵夫人メール0

こちらのメール画面しか見ていなかったとしたら、いかがでしょう。
若しくは籠池夫人が、この画面しか理事長に見せていなかったとしたら・・・。

もう一つ深く話をするとすれば、籠池理事長は、既にこのメールがやり取りをされた経緯をすべて把握していて、証人喚問が終了した後に、この画面が公にされることをすでに知っていたとしたら。

アキエリークス」は、「ワードプレス」と呼ばれるブログシステムをつかって作成されています。

但し、ワードプレスは私が現在作成しているFC2ブログやその他アメブロなどのブログシステムとは異なり、事前にブログを設置するためのサーバーを確保しておかなければなりませんし、その契約は少なくとも一日では完了しません。

何が言いたいのかというと、少なくとも「アキエリークス」 に掲載されている写真は、証人喚問が行われる前。23日以前に獲得しておかなければ24日にあれほど都合よく「アキエリークス」なるものを公開することは出来ないということです。

タイトルに「アキエリークス」という名称が用いられていますが、これは海外で一時期有名になった「ウィキリークス」をもじったものであることは容易に想像できます。

「ウィキリークス」とは、例えば政府であったり、大手企業であったり、宗教団体であったり、通常であれば機密にされ、公開されないはずの情報を公開し、所謂「体制」を揺るがすことを目的として作成されたものです。

「アキエリークス」という名称が用いられている以上、これは本来であれば安倍昭恵夫人が隠そうとしているはずの情報を安倍昭恵夫人夫人の意図に反して公開することで、「安倍内閣」という体制を揺るがそうとする意図を持った人が作成したことは容易に想像できるわけです。

では、改めて「アキエリークス」にて公開されているメール画像をここでも掲載してみます。画像は69枚ありますので、読まれる方はその意識でご覧ください。

トップ画像
メール画像1

2017/2/25
From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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From明恵夫人
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2017/02/26
From明恵夫人
メール画像21

2017/02/28
From明恵夫人
メール画像22

From明恵夫人
メール画像23

From明恵夫人
メール画像24

From明恵夫人
メール画像25

From明恵夫人
メール画像26

2017/03/01
From明恵夫人
メール画像27

2017/03/02
From明恵夫人
メール画像28

2017/03/03
To 明恵夫人
メール画像29

To 明恵夫人
メール画像30

2017/03/05
To 明恵夫人
メール画像31

2017/03/07
To 明恵夫人
メール画像32

To 明恵夫人
メール画像33

To 明恵夫人
メール画像34

To 明恵夫人
メール画像35

2017/03/08
To 明恵夫人
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To 明恵夫人
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From 明恵夫人
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From 明恵夫人
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From 明恵夫人
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From 明恵夫人
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メール画像49

To 明恵夫人
メール画像50

2017/03/09
From 明恵夫人
メール画像51

2017/03/10
To 明恵夫人
メール画像52

From 明恵夫人
メール画像53

To 明恵夫人
メール画像54

From
メール画像55

To
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From 明恵夫人
メール画像57

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メール画像58

From 明恵夫人
メール画像59

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2017/3/11
To 明恵夫人
メール画像61

2017/03/16
From 明恵夫人
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To 明恵夫人
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From 明恵夫人
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To 明恵夫人
メール画像65

From 明恵夫人
メール画像67

From 明恵夫人
メール画像68

To 明恵夫人
メール画像69

From 明恵夫人
メール画像70

さて、いかがでしょう。
基本的に、明恵夫人が「祈ります」や「神様」を多用しているのは、彼女がクリスチャンだから。
全体を通して読むとつじつまが合わない様に見えるのはショートメールなので内容が細切れになっているから。

さて。それにしても、既にお気づきの方はいらっしゃると思いますが、内容として民進や共産党、そして籠池氏自身にとって都合の悪い画像は全て掲載されていませんね。

例えば、2月28日の件は以下の通りです。(日刊スポーツより
2月28日

 (昭)私は講演の謝礼を頂いた記憶がなく、いただいていたのなら教えて頂けますでしょうか。

 申し訳ありません。

 (籠) 申し訳ありません。

 あまりにひどい なぜその情報はどなたからですか 全国の方々から励ましのメールがどっさり届き励まされます 絶対おかしい!

 (昭)報道をされたようなので、確認です。

 (籠)えーひどい ひどすぎます 応援メールをみていただきたいぐらいです

 (昭)私も籠池園長の熱意は信じています。

 本当に記憶から飛んでしまって、他の講演等は全て振込みか、銀行に入れて税理士事務所に管理してもらっているのですみません。

 (籠)今まであきえさんとはなしていました

 私学審議会が通らなかったら幼稚園も自宅も破産ですちゃんと正しく見ている方はいます 辻本清美共産党今はぐっと辛抱です(笑)

 民進党の議員はおもしろがって 先生方に近より 怒らせようとして ニタニタ笑いながら 幼稚園に侵入するので びっくりする子達をみて 笑うのだそうです 先生方は 入らせないように阻止させるのです 家の前にも報道陣が今もいて 警察に 今通報しました

ここは、肝心の講演謝礼についてのやり取りが交わされる場面ですが、アキエリークスには籠池夫人のちぐはぐな返答の画面は掲載されていません。

このやり取りを見る限り、籠池夫人は謝礼の報道が偽りの報道であり、「絶対おかしい」と言っている様に見えます。
当然末尾の民進党議員に対する印象文に関してはカットされています。

3月1日の件に関しては以下の通りです。

(籠)拝啓村上幕僚庁の会見に涙がでました稲田さんに表彰状を貰ったんじゃないと主人は吐き捨てました

平成五年より自衛隊の要請をマスコミにも返上しないときっぱりと園長は申してました

昨夜マスコミから逃れるために豊中南警察に被害届を出したあとアパホテルに身を隠しています

昨夜長年幼稚園で将棋の講師をしている川崎先生が谷川名人にマスコミが幼稚園のきて報酬をいくらもらったのか あきえさんを調べているといわれたそうです

将棋連盟から指導棋士の将号を返上しないと幼稚園にいくならやめよといわないがやめてほしい朝日と毎日がスポンサーなのだそうです

失業の危機に一日中奥さんからせめられ政治家は何をしてるんですか 発身ばかりわずかな給料で税金ばかりがふえ一日中テレビでゴシップ問題で他に話題はないんですか 国会議員が国を悪くしているんじゃないですか

辻元清美が幼稚園に侵入しかけ 私達を怒らせようとしました
嘘の証言した男は辻本と仲良しの関西生コンの人間でしたさしむけたようです

(昭)今はじっと我慢の時です。私もまだまだ追い詰められるのかもしれませんが、お互い頑張りましょう。

(籠)誘導尋問にのらぬようにしてください絶対に国の不利になるようなことはいってません孫請業者の作業員がその委託社長がしてないといったのにもかかわらずその三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです作業員はわからないくせにマスコミにいわしていたそうです

 あきえさん 分断がねらいです ひっかからぬよう 国の再生の為にまけないようにしてほしい

 下請け業者の社長は現場もマスコミに写し全くうめてないことをしっていて三日だけきた作業員を辻元清美は送り込みました

 辻元清美生コンをみればある関西こうえき連合の人間をマスコミに出し社長の言い分はのせなかったそうです 国会議員の犯罪じゃないですか

 (昭) 心の垢を落とす、本当にそうだなあと思います。

 この国のために命を懸ける夫を思う気持ちは一緒です。

ここは、ピンポイントで民進党議員である辻元清美議員が、彼女が懇意にしている「関西生コン連合」の作業員を現場に潜入させ、マスコミの取材に応じさせた・・・という情報が掲載されている部分です。

この部分を辻元議員は自身のホームページ や民進党ホームページにて、以下の様に掲載し、否定しています。

本日公表されました、安倍昭恵夫人と籠池夫人が交わしたメールの文面の中に、辻元清美に関する虚偽がありました。
民進党より、報道関係各位に、まったくの事実無根である旨、文書にて配布しております。
以下に文書内容を転載します。

===
平成29年3月24日
報道関係各位
安倍昭恵夫人と籠池夫人との間のメールについて

民進党役員室

本日、公表された安倍昭恵夫人と籠池夫人とのメールには、わが党の辻元清美議員に言及した箇所がありますが、そこで記されている内容は事実に反する虚偽のものです。

本年3月1日のメールに、辻元清美議員が塚本幼稚園に侵入しかけたとされていますが、そのようなことは一切なく、そもそも同議員は塚本幼稚園の敷地近くにも接近していません。
このことは、周囲にいた多数のメディア関係者を含め、皆が確認しているところです。
また、辻元清美議員が、作業員を下請け業者に送り込んだとされていますが、これも全くの事実無根です。
これは、ネット上で流された根も葉もない噂を信じたためと思われますが、そのような事実は一切存在しません。
メディア各位におかれては、このような誤った内容を拡散しないよう強く求めます。

========

配布した文書のPDFはこちら

このようなデマにくれぐれも惑わされないようにお願いいたします。

勿論これが事実であれば非常に問題であるわけですが、今回ご紹介した アキエリークス にはこの情報は一切掲載されていません。


さて。以上の内容から、今回の一件に関して、籠池夫妻と民進党を初めとする野党4党(維新・こころを除く)の関わりあいについて、一つの推論が成り立ちます。

1.野党4党と籠池夫妻(もしくは単独で籠池理事長)との間で、証人喚問以前より既に一定以上の人間関係ができていた。

2.野党4党は、証人喚問が終わった後、「アキエリークス」にて籠池夫人より野党4党に関係のある何者かに対して提供されたっメール情報が掲載されることを知っていた。

3.掲載される内容を下に野党4党と籠池理事長との間で証人喚問に関するすり合わせが行われており、証人喚問後、メール情報、及び「明恵夫人付官僚が籠池理事長へ送ったFAXの内容」を下に与党を攻める示し合わせが行われていた。

4.ところが、アキエリークスによってメール情報がリークされるより先に、安倍首相がメール情報全文を公開してしまい、アキエリークスでは伏せて公開しない予定であった内容までばらされてしまったため、大きく予定が狂ってしまった・・・。

これ、おそらく当たらずとも遠からずだと思います。


このことを前提として、上記動画を見ると、福山哲郎ら民進党議員たちの慌てぶりの理由がよく理解できます。


次回記事では、もう一つの「リーク」情報である明恵夫人付官僚より籠池理事長に送信されたFAXの見方について記事にしたいと思います。


この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
第292回 ポーランドとドイツ騎士団とユダヤ人/ソ連誕生までの布石

だめだ・・・

どうもこのシリーズを書こうとすると、私がそもそもなぜこのシリーズを記そうと思ったのか、という軸がぶれそうになります。

結論として導きたいのは、そもそもロシア帝国が崩壊し、共産化したのは「ロシア人とユダヤ人との対立」の結果である、という結論です。もちろんこれは仮説であり、まだ証明できてはいません。

これを証明するためにこのシリーズを作ろうとしているのですが、どうも「悪魔のささやき」が聞こえてきてなりません。
仕方のない部分はあるのですが、どうしても「ユダヤ人迫害の歴史」を追求しようとしてしまいます。

ですが、これをやっちゃうと本来の「ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯」を追求する以上に記事数を割いてしまいそうでなりません。

もっと言えば、最終的には「ロシア革命はユダヤ人の陰謀であり、ロマノフ家はユダヤ人の手によって壊滅させられた」というところまで持っていきたいわけです。

というと語弊があるかもしれませんね。私は、この仮説が事実であるのか、それともデタラメなのかということを証明したいのです。
ここを証明することが目的ですので、ユダヤ人迫害の歴史は、ロシア中世・近代史に関連する部分に極力留め、それ以上過去にまでは遡らない様努めたいと思います。


前回の記事 では、モンゴル(キプチャク・ハン国)の脅威に晒され、弱体化しつつあったポーランドが、ユダヤ人に寛容な政策を取ることで、他国で迫害されるユダヤ人を自国内に招き入れ、ドイツ商人と共に、ポーランドの経済回復の一助となってく様子を記事にしました。

で、そもそも私がなぜポーランドがユダヤ人を招き入れることとなった歴史に触れようとしたのかというと、このことが後々ロシア内にユダヤ人を大量に招き入れることとなる根拠となったから。

で、私がなぜ「ユダヤ人迫害の歴史」に言及したくなるのかというと、そもそも「ポーランド」にユダヤ人の数が激増した理由は、ポーランド以外の国々でユダヤ人が迫害を受け続けてきていたからであり、これはロシアもまた例外ではありません。

つまり、ロマノフ朝によるユダヤ人に対する迫害がユダヤ人のロマノフ朝に対する反感へと繋がり、これが後のロシア革命へとつながったのではないか・・・というのが一つの「仮説」です。


さて。ではなぜ「ポーランドの歴史」が「ロシアにユダヤ人を招き入れる原因となったのか、と申しますと、ここに大きく関係してくるのが「ウクライナ」の存在です。

では、もう一度前回の記事でご紹介した、「元」国時代の地図を見てみます。

モンゴル

ロシアを支配していた「キプチャク・ハン国」の領土内、カタカナで「キエフ」と書かれている領土内に、さらに小さい文字で「キエフ」、そして「モスクワ」という文字が書かれているのが分かると思います。

前回の記事でもお伝えしました、元々キプチャク・ハン国がこの地を急襲する以前、この国には「キエフ・ルーシ」という国が存在していました。モンゴルの急襲によって「キプチャク・ハン国」と名を変えるわけですが、まだここに「キエフ・ルーシ(キエフ大公国)」が存在していた時代。

時の権力者、ユーリー・ドルゴルーキー大公は、自身の息子であるフセヴォロド3世に、嘗て自身が「公(公国の元首のこと)」として治めていた領土を分け与え、「ウラジーミル・スーズダリ公」の位を与えます。

フセヴォロド3世はこの土地に、「ウラジーミル・スーズダリ公国」を建国し、これが後の「モスクワ・ルーシ(モスクワ大公国)」の原型となります。フセヴォロド3世の死後、この土地はフセヴォロド3世の息子であるユーリー2世が継承します。

モンゴルが攻めてきたのはユーリー2世の時代(1238年)。モンゴル軍により、ユーリー2世の一族は、軒並み滅ぼされ、彼自身も戦死するのですが、彼の弟であるヤロスラフ2世が大公の座を受け継ぎ、彼はモンゴルに「臣下」として従事することで「モンゴル帝国領ウラジーミル公国」の存在を維持します。

更にその息子、アレクサンドル・ネフスキーの末子である「ダニール・アレクサンドロヴィチ」がアレクサンドルより「モスクワ領」を受け継ぎ、「モスクワ公」を名乗ることとなります。ダニーるの血縁者が後にモンゴル王より「モスクワ大公」に任じられ、ダニールの息子であるユーリー3世とイヴァン1世が連続して「モスクワ大公」の位に就くこととなります。

この時代はまだ、「モスクワ大公国」はモンゴルの支配下にあったんですね。

【モスクワ大公国】
モスクワ大公国-2


モスクワ大公国は、確かにユーリー2世よりウラジーミル領を分け与えられたフセヴォロド3世の子孫が更に受け継いだ土地なのですが、実際にモンゴルに滅ぼされた後の「キエフ大公国」そのものを勝ち取り、継承したのは「ハールィチ公国」と「ヴォルィーニ公国」とが合併した「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」でした。

ハールイチ・ヴォルイーニ大公国

この、「ハールィチ・ヴォルィーニ大公国」こそ、「ウクライナ」の源流。

ハールィチ・ヴォルィーニ大公国はモンゴルとの戦いに敗れた後、ウラジミール大公国同様モンゴルの属国となるのですが、大公であったダヌィーロは、自分の息子を隣国リトアニアの初代大公であったミンダウガスの娘と婚姻関係を結ばせ、リトアニアとの関係を強固なものとし、ともにドイツ騎士団との戦いや、ポーランドへの遠征なども行います。

1340年に大公が途絶え、国が貴族の支配を受けるようになると、その国力は一気に弱体化し、後にポーランド・リトアニアによって分割統治されることなります。

ハールィチ公国はポーランド領に、ヴォルィーニ公国はリトアニア領となります。
この当時、ポーランドとリトアニアは連合国となっており、「ユダヤ教」に対してヨーロッパ一寛容な国家でした。
(※失礼しました。ハールィチ・ヴォルィーニ大公国がポーランドとリトアニアに吸収された当時、両国はハールィチ・ヴォルィーニ領をめぐって戦争を起こしており、まだ「連合国」と呼べる関係にはありませんでした。
吸収した後、ドイツ騎士団に対抗するため、お互いが連携(1387年)し、同盟関係を結ぶことで「連合国」としての形を築くことになります)


そんな「ポーランド・リトアニア連合国」に「ウクライナ」は吸収されてしまったんですね。
この時、「ウクライナ」という地域に、もまた大量のユダヤ人が流入します。


少し見えてきましたね?
このことが、後にロシア帝国にユダヤ人が大量に流入するきっかけとなります。

そのためには、もう少しこの「ウクライナ」という国の歴史をたどる必要があるのですが・・・。
その記事は次回へゆだねます。


この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


<継続する記事>
 ソビエト連邦の誕生までの歴史~ロシア人とは何者なのか?

タイトルは非常に悩みました。
ロシアのどの時代にスポットを当てるべきなのか、そもそもタイトルとして、「ロシア」そのものにスポットを当てても良いものなのか。

カテゴリーの名称としては、ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 との名称ですから、なぜポーランドやドイツ、ユダヤ人が関係あるんだ、との声も聞こえてきそうですが・・・。

ただ、調べていますと、どうもソ連誕生の歴史を追いかける上で、「ユダヤ人」や「ポーランド」、そして記事にこそ含めていませんが、「ウクライナ」という国の存在も無視できないということが見えてきました。

【「元」の時代のユーラシア大陸】
モンゴル

こちらは、13世紀。1200年代に、モンゴル帝国「元」がアジアを支配していた時代の地図です。
世界の歴史マップ」様より拝借いたしました。

余談ですが、15世紀には更にロシア中央部に「シビル・ハン」国が勃興するのですが、後にロシア・ツァーリ国に併合され、「シベリア」とその名称を変えます。

ご覧いただくとわかりますが、後の「ロシア大公国」が誕生する位置もまた「キプチャク・ハン国」が占領しており、この領土内に「モスクワ」と書かれていることもわかります。

カタカナで「キエフ」と書かれていますが、元々この地域に「キエフ大公国」という国が存在し、この国の正式名称が「ルーシ」。
「ロシア」という名称の由来となる国の名前です。

さて。この「キエフ」が位置した地域までキプチャク・ハン国が席捲しており、その領土は「ポーランド」にまで迫っていますね。
この時、ローマ教皇であったグレオリウス9世より、全てのキリスト教徒に対して、

 「ポーランドを救援してこの異教徒襲来と戦うべしという」
という「詔書」が発せられます。この時、皇帝から命令を受け、ポーランドへ向かったのが「ドイツ騎士団」。

明確な時期は分かりませんが、1241年4月9日、ポーランド・ドイツ連合軍とモンゴル軍が初めて戦闘していますので、この時期が目安になりますね。

ちなみに彼らに命令を下したグレゴリウス9世は、「神聖ローマ帝国」の教皇。
神聖ローマ帝国とは、もともと「東フランク王国」と呼ばれていた地域で、「ドイツ人」とは、一般的にこの「東フランク王国」の出身者たちのことを差していたようです。

ドイツについては後日、改めてシリーズ化します。
プロセインへのドイツ騎士団の移住は、「東方植民」と呼ばれる、神聖ローマ帝国以前から続くドイツ人の植民政策の一環で、これはドイツ人そのものの繁栄をもたらします。

一方でポーランドは、モンゴルによる侵攻などの影響も受けて荒廃し、ドイツ人はさらにポーランドの開拓地への移住を推し進めます。

この様に記すと、あたかもポーランドがドイツによってどんどん占領されているかのようなイメージを受けますが、モンゴル人による侵攻を受けて荒廃するポーランドと違ってドイツは繁栄と共に近代化も推し進められており、ドイツから持ち込まれた「都市法」は、ポーランドの伝統的な習慣法と比較しても、とても進んだものであり、ポーランドはこのドイツ都市法を積極的に受け入れていったんですね。

おかげでポーランドでは農業は回復し、都市化・近代化が推し進められ、元々自然環境にも恵まれていたことから、どんどん経済的繁栄を回復していくこととなります。

この時、ポーランド国王は、都市再生の為、ドイツ商人と同時に、「ユダヤ人」も自国領土へと招き入れます。ユダヤ人は、ポーランドに於いて、「法」によって思想と生活の両面から保護されることとなります。

この当時、ヨーロッパ全土では「反ユダヤ主義」なるものが展開されており、ユダヤ人は迫害を受けていましたから、ユダヤ人は続々とポーランドへと移住してきます。

彼らの知識やビジネスノウハウは後のポーランドにとって経済的な柱となり、ポーランド初の通貨も、彼らユダヤ人の手によって生み出されたのだそうです。

どうも、この当時からユダヤ人には「陰謀論」なるものがついて回る傾向にあり、ユダヤ人により、キリスト教徒がいけにえとされ、儀式として殺害されている・・・といった「デマ」がまことしやかに信じられていたのですが、ポーランド国王は、この様な「デマ」をすでに「胡散臭い」と見抜いていて、この様な「デマ」からもユダヤ人を法律によって保護したのだそうですよ。


さて。一方で「ドイツ騎士団」ですが・・・。
地図上部に、紫色で「ドイツ騎士団領」という文字がありますね。

これは、「プロセイン」と呼ばれる地域で、後に「プロイセン王国」が築かれる、その基盤ともなる地域です。
ここに、「プルーセン人」という、「異教徒(キリスト教以外の宗教の信者)」がおり、この人々を「キリスト教化」することに手を焼いていたポーランド国王は、当時ハンガリーにいたドイツ騎士団に呼び寄せ、プルーセン人の対応に当たらせます。

この時、引き換えとしてポーランド国王はドイツ騎士団に対し当時自国領土であった「クルムラント」の領有権を認め、また更にローマ教皇はプルーセン人の土地である「プロイセン」の領有権もドイツ騎士団に対して認めます。

1226年~1228年にかけてのことですから、モンゴル人によるポーランド侵攻以前の事ではありますが、教皇の命を受けてポーランドまで移民してきたドイツ人たちは、やがてポーランドの支配をもくろむようになります。

このお話は、シリーズをドイツに移した後でふれたいと思います。


記事としては少し短いですが、今回の記事を前提として、次回記事内容がそこそこボリュームのあるものとなる予感がしますので、今回はここで区切りを付けたいと思います。

次回は「ウクライナ」という国にスポットを当て、シリーズロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯 を追いかけてみたいと思います。


この記事のカテゴリー >>ロシア革命とソビエト連邦誕生に至る経緯


今回のシリーズは、本編であるなぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか のもう一つの外伝として記していきたいと思います。

「真珠湾攻撃はどうした?」という声も聞こえてきそうですが・・・この情報についてはまだ、私自身の中でこのブログらしい、説得力のある情報を掲載する自信がありませんので、もうしばらくお待ちください。

今回のシリーズは、なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか本編と共に、子カテゴリーとして掲載し続けたシリーズ、十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 、そしてもう一つのシリーズ、共産主義と左翼 についても補完する内容としていく予定です。

シリーズ十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 に於いて、まだ完結させてはいませんが、シリーズ全体を通じて、「日中戦争開戦までの経緯」について、序盤は特に日本ではなく中国の近代史について、中盤では中国の近代史に日本の近代史を絡めながら、そして現時点での終盤では日本の南方政策と欧米との関わりあいに関連した記事を作成しています。

ただ、その途中で私、意図的に掲載していない、抜いている情報というものがあります。
それが今回外伝としてシリーズ化予定の「ロシア」の問題と、「ドイツ」の問題です。

理由としては、子カテゴリータイトルを「十五年戦争(日中戦争)の原因と結果」としており、間接的には関係があるものの、深堀して話数を割く内容としては適切ではない、と考えたからです。

ですが、それでも特に中国近代史を追い、かの国が日本と敵対する関係に至る経緯を追えば、そこに「ソ連共産党」という存在が大きく影響していることは最早否定することは出来ませんし、一方で本編である「なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか」という視点に立てば、そこで「ソ連」の存在を否定することはやはりできないわけです。

またもう一方、第二次世界大戦に至る経緯として、日本が同盟を結んだドイツとイタリア。
特に、その第二次世界大戦史の中心的な存在として位置する「ドイツ」。「ナチスドイツ」が一体なぜ誕生したのか。ここも話題として避けて通るわけにはいかない内容だと思います。

そこで、今回よりこの二つの存在、つまり「ロシア(ソ連)」と「ドイツ(ナチスドイツ)」について新しく記事をシリーズ化していきたいと思います。歴史的に、日本の歴史に先に絡んでくるのは「ロシア」ですから、まずはシリーズ第一弾として、「ロシア」についてまとめていきます。


ただ、このロシアが共産化していく光景について、私は過去に一度だけ記事にしたことがあります。
それが、シリーズ共産主義と左翼 に記した、第64回 「コミンテルン」と「労働社会主義インターナショナル」 という記事です。

ロシアが崩壊していく過程が、非常にユダヤ人臭の強い崩壊の仕方である、ということを紹介し、ここで 元ソ連外交官が語る 「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌 という他者様のブログ記事をご紹介しています。

これは、日本の外交官も務めたロシア人、「アレキサンドル・イワノフ」という人物の講演内容をまとめた・・・と転載先では紹介されているのですが、そもそもこの情報、出所が唯一このブログのみの発信であり、ではここに記されていることが本当に正しいのかどうか。これは改めて調査してみなければ本当のところは分かりません。

ですが、ここに記している内容は、ロシアが崩壊し、共産化していく様子を実にわかりやすくまとめられていますので、その内容の信ぴょう性は一旦脇に於いて、この記事に記されている内容をベースとして、これを検証しながら記事は進めてみます。


「ロシア人」とは何者なのか?

ロシア

こちらは現在の「ロシア」の地図です。Googlemapから拝借しました。

あらためて地図で見てみますと、この国の巨大さを思い知らされますね。
シリーズ十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 では「中国」を追いかけてきたわけですが、その中国と比較してもロシアの巨大さは際立つものがあります。

これほど巨大な領土を持つ「ロシア」ですが、元々は、

モスクワ大公国

これくらいの大きさでした。この時の国の名前を「モスクワ大公国」と言います。
16世紀ころの領土です。で、この国が、17世紀に入るころには

ロシア・ツアーリ1

これくらいの大きさになります。また更に、18世紀に入るころには

ロシア・ツアーリ

これくらいの大きさにまで成長します。1547年、イヴァン4世が「ツァーリ(皇帝)」の称号を得て以来、「モスクワ大公国」ではなく、「ロシア・ツァーリ国」と呼ばれるようになります。

イヴァン4世の父であるヴァシーリー3世は、「モスクワ大公国」の「モスクワ大公」でした。イヴァン4世は大公であるヴァシーリー3世の息子ですから、彼が最初即位した位は「大公」。この時の彼の年齢はなんと3歳。当然国政を仕切れる様な年齢ではありませんから、彼の母親を初めとする、彼以外の人間が「摂政」等の役職に就き、国政を運営していきます。

ロシアの通貨である「ルーブル」は、彼の母、エレナが摂政であった時代に導入されたのだそうです。

ところが、エレナの死後、大公であるイヴァン4世の存在は無視され、エレナに代わって他の貴族が世間を奪取。
当時のロシア国教であった、「ロシア正教会」もまた貴族らの権力争いに巻き込まれ、新しくこの「ロシア正教会」の「府主教」に任命されたのが当時イヴァンの教育係を務めていた「マカリー」という人物でした。

ですが、マカリーは「ロシア正教会」の権威復活を期しており、イヴァン4世に対して、「神に選ばれたツァーリ」としての教育を施すのだそうです。

「神に選ばれたツァーリ」ですか・・・。
これ、パターン的に所謂「パーソナリティ障害」を生み出すんですよね。特に「自己愛性人格障害」と呼ばれる人格障害を齎す教育方法ですね。

イヴァンは後に「雷帝」として国民から恐れられる恐怖政治、大虐殺を行うわけですが、彼をそうさせたのは、ひょっとするとこのマカリーの教育方針にあったのかもしれません。

実際、彼の夫人であるアナスタシアは彼の凶暴性を抑えることができていたようですし、実にあやしい。

夫人の死後、要人や彼に意見するものなどを対象に次々と粛清、処刑を行うようになります。

1570年には彼の親衛隊であるオプリーチニキの軍隊(オプリーチニキ軍)を使ってノヴゴロドという地域の住民に対する大虐殺と修道院に対する略奪を繰り返し、これは1月2日~2月当初まで続けられたのだとか。この時の犠牲者は3千人に上るんだそうですよ。


少しわかってきたのは、ロシアが東進して占領した地域は、元々モンゴル人が統治していた国々で、所謂「シベリア」と呼ばれる地域もモンゴル人国家でした。

基本、Wikiを参考に書いていますが、文中、

「歴史家たちは彼の憤怒の原因について、それが政治的対立、個人的憎悪、精神的不安定のいずれによるものなのかを決められないでいる」

とあります。ですがこれ、恐らくマカリーの指導方針に伴って発現した「パーソナリティ障害」が原因と思われますね。
晩年は自分の子どもや子供の妻に対して異常なほどの虐待行為を行っていることからもこれは当たっているのではないでしょうか。

彼のこの様な政策は、結局国内、国外共に反感を買い、ロシアを荒廃させ、1609年、ポーランド軍によりモスクワの首都クレムリンを占領されるまでロシア国内に於いて「動乱時代」という時代が続きます。

モスクワ占領を受け、ロシア国民は遂に団結し、義勇軍を結成してポーランド軍を撃退。
その後、1613年2月に全国会議が開かれ、ロシア人民と、「コサック」と呼ばれる流れ者集団も参加し、ミハイル・ロマノフという人物がツァーリとして選出されます。

1721年には、同じくツァーリであったピョートル1世が「インペラートル(大帝)」を名乗り、以降ロシア・ツァーリ国は「ロシア帝国」と改められることとなります。

では、「ロシア人とは何か」と問われると、そのルーツは元々「東スラブ」。

東スラブ
上図の赤色のエリアに居住していた「東スラブ語」を話す民族の事です。

丁度モスクワ大公国が位置した当りの地域ですね。
東スラブ人たちが設立した国家「ロシア帝国」。では、この国に一体何が起きたのでしょう?

次回以降の記事にて、ロシア帝国成立後、ロシアが「共産化」するまでの様子を順に追いかけてみたいと思います。



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第289回 教育勅語の柱となる内容/教育勅語の現代語訳にチャレンジ②

さて。教育勅語現代語訳に挑みました今回のシリーズ第3回目。

未着手の残る3文の現代語訳にチャレンジしてみます。
冒頭に教育勅語原文を掲載いたします。

【教育勅語原文】
朕(ちん)惟(おも)うに  我(わ)が 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 国(くに)を肇(はじ)むること 宏遠(こうえん)に 徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり

我(わ)が臣民(しんみん) 克(よ)く忠(ちゅう)に 克(よ)く孝(こう)に 億兆(おくちょう)心(こころ)を 一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美(び)を済(な)せるは 此(こ)れ 我(わ)が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育(きょういく)の淵源(えんげん) 亦(また)実(じつ)に此(ここ)に存(そん)す

爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)に孝(こう)に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)し 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)じ 恭倹(きょうけん)己(おの)れを持(じ)し 博愛(はくあい)衆(しゅう)に及(およ)ぼし 学(がく)を修(おさ)め 業(ぎょう)を習(なら)い 以(もっ)て智能(ちのう)を啓発(けいはつ)し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し 進(すすん)で公益(こうえき)を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開(ひら)き 常(つね)に国憲(こくけん)を重(おもん)じ 国法(こくほう)に遵(したが)い 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)あれば 義勇(ぎゆう) 公(こう)に 奉(ほう)じ 以(もっ)て天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)の皇運(こううん)を 扶翼(ふよく)すべし

是(かく)の如(ごと)きは独(ひと)り 朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民(しんみん)たるのみならず 又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先(そせん)の遺風(いふう)を 顕彰(けんしょう)するに足(た)らん

斯(こ)の道(みち)は 実(じつ)に我(わ)が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の 遺訓(いくん)にして 子孫(しそん)臣民(しんみん)の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所(ところ) 之(これ)を古今(ここん)に通(つう)じて 謬(あやま)らず 之(これ)を 中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず

朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)と倶(とも)に 拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)徳(とく)を一(いつ)にせんことを 庶(こい)幾(ねが)う

明治二十三年十月三十日
御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)

教育勅語


斯の道は 実に我が皇祖皇宗の 遺訓にして 子孫臣民の倶に遵守すべき所
之を古今に通じて 謬らず 之を 中外に施して悖らず


まずは、今回記事とする最後の三文の内、最初は第一文目を飛ばしまして2文目から進めてみます。

 「斯の道は 実に我が皇祖皇宗の 遺訓にして 子孫臣民の倶に遵守すべき所」

について。では、「この道」とは何かと申しますと、これはいうまでもありません。前回の記事 で書き記した内容。

即ち、

1.父母に 孝に

2.兄弟に 友に

3.夫婦 相 和し

4.朋友 相 信じ

5.恭倹 己れを 持し

6.博愛 衆に 及ぼし

7.学を 修め

8.業を 習い

9.以て 智能を 啓発し

10.徳器を 成就し

11.進で 公益を 広め

12.世務を 開き

13.常に 国憲を 重じ

14.国法に 遵い

15.一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ

この15の『徳』のことです。

そしてこの15の『徳』を実践することで、「天壤無窮の皇運を扶翼」するということを、教育勅語では「この道」として示しています。

繰り返しになりますが、ここで「天壤無窮の皇運」とあることから、福島瑞穂は「天皇制=悪」であるという誤った解釈に基づいて教育勅語を悪の象徴でもあるかの様に喧伝していますが、ここでいう「天壤無窮の皇運」とは、神々が世界を作り、人類を誕生させたその時代から途切れることなく続くこの世界そのものを差しています。

もっと言えば、現世に於いて「皇宗」はその命が絶たれてしまったかもしれませんが、日本書紀や古事記に於いて描かれている神代の世界では、「皇宗」は「皇祖」と共に未だに存在し続けているのです。

「日本」という国が紡いできたストーリーは、たまたまそのような神々が降臨させた天孫、神武天皇の時代より描かれたわけですが、教育勅語に於いて明治天皇が「扶翼」すべきだとした、「天壤無窮の皇運」とは、単に日本のストーリーのみを示したものではありません。

この様な事を書き記すと、「そのような思想を勝手に私たちに押し付けるな!」という人が現れそうですが、少なくとも「日本」という世界の歴史は、そのような「皇運」と共に形成されてきたのです。


では、この様な考え方を以て、改めて

 「斯の道は 実に我が皇祖皇宗の 遺訓にして 子孫臣民の倶に遵守すべき所」

という言葉について考えてみましょう。

(少なくとも、教育勅語に於いてに於いて「主語」を構成している)明治天皇は、教育勅語に於いて、「斯の道」、即ち15の徳を実践し、日本のみならず、この世界全体の将来の発展の為に貢献するということが、「皇祖皇宗の遺訓」だとしています。

「遺訓」。即ち「亡くなった方からの教え」の事。

明治天皇は、「この道」を自分が臣民たちに押し付けようとするものではなく、自分の祖先である高宗や、日本だけでなく、この世界そのものを「肇めた」神々が、この世界が誕生した時にこの世界に植え、私たち日本国民が育て続けてきた、神々からの「教え」であると記しています。

そして、それを「遵守」しなければならないのは、日本国民だけでなく、皇祖皇宗の「子孫」である自分自身も「臣民」である日本国民と共に「守っていかなければならない」と言っています。

図らずも、このことを身をもって示したのが2.26事件 に於いて、だれも自分自身に「輔弼」する役割を持つ人がいなくなった中で、昭和天皇自らが同士討ちを避けようとパニック状態に陥った軍部を一喝して自ら「暴徒」である皇道派を鎮圧にあたらせた、その「御聖断」にあるのではないでしょうか。

そして、

 「之を古今に通じて 謬らず 之を 中外に施して悖らず」

即ち、この様な考え方は、過去も、現在に至っても尚一貫して通用する道理であり、このことを日本国内だけでなく、海外に対して実践し、また伝承したとしても、何等道理に反することのないものである、と言っています。

「悖らず」とは、「道理に反するものではない」という意味です。


では、改めて第一文目。

「是の如きは独り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以て爾祖先の遺風を 顕彰するに足らん」

という言葉について考えてみます。「一人」とは、打消しの言葉と共に用いることで、と共に用いることで、「ただ、〇〇だけではない」という意味になります。

ですので、前半部分は「この如き」、即ち皇祖皇宗の遺訓であるこれら15の徳を実践するということは、あなたたちが天皇である私に尽くす忠義に熱い優秀な臣民である、ということを示すというだけではなく、という意味になります。

「のみならず」とありますので、明治天皇が伝えたかったことは、この前半部分よりもむしろこの後半部分。

 「爾祖先の遺風を 顕彰するに足らん」

という部分にあります。

「遺風」とは、亡くなった人の教えの事。
「顕彰」とは、隠されている良いことを明らかにし、表す事

とありますので、「爾祖先の遺風を 顕彰するに足らん」とは、

 「あなた方の祖先の教えが、実はとても素晴らしい教えであり、その素晴らしさをあなた方自身が明らかにすることになるのですよ」

という意味合いです。

この当時の国民は、現在以上に天皇陛下の事を敬愛し、天皇陛下の為になりたい、と思っていたはずですので、前半でそのような国民の気持ちを受け止めた上で、「ですが、実際は私ではなく、あなた方自身の祖先を讃え、敬うことになるのですよ」と暗に伝えているのです。


朕 爾臣民と倶に 拳々服膺して 咸 其徳を一にせんことを 庶幾う

こちらが最後の一文です。難しいのは、「服膺(ふくよう)」という言葉でしょうか。
これは、「こころに留めてわすれないこと」。

「拳々」とは、15の「徳」一つ一つの事。

この文章で大事なのは、「朕 爾臣民と倶に」とあることです。
最終三分、第二文目において、「子孫臣民の倶に遵守すべき所」とありましたね?

この15の徳を忘れず、心に留めて実践しなければならないのは、臣民である日本国民だけでなく、自分たち皇族も、あなた方と共にこれを実践していかなければならないと、明治天皇は教育勅語に於いて自分自身に対しても尚訓示しているのです。

これを頭に置いて

 
朕 爾臣民と倶に 拳々服膺して 咸 其徳を一にせんことを 庶幾う

という文章を見てみましょう。
大事なのは、この文章の主語が「朕」。即ち明治天皇自身である、という事。

15の徳を「拳々服膺」するのは、臣民ではなく自分自身である、と言っているわけです。
勿論「共に」とありますから、国民がこれを「拳々服膺」することは前提条件となっているわけですが、明治天皇は少なくともこの文章に於いて、臣民である日本国民が、15の徳を「拳々服膺」するということを疑っていないんですね。

そして、自分自身が、臣民と共に15の徳一つ一つを「忘れず、心に留め置き」、自分自身を含めた日本国民全員が、「その徳を一(いつ)にする」ことを願っています、と締めくくっています。

他の訳文を見てみますと、「徳を一(いつ)にする」という言葉を、「一致して立派な行いをする」と記しているものが多いのですが、私、これは微妙に異なっているのではないかと感じています。

確かにこの「教育勅語」には、15の徳が列挙されていて、これを実践することが大切だ、と記されています。
ですが、例えば

 「父母に孝行する」

という一言だけとっても、これはいろんな孝行の仕方があります。例えば、私が考えている「親孝行」の仕方と、私が記しているこの記事を読んでいただいているあなたの「親孝行」の仕方は、必ずしも一緒であるとは言えません。

やはりその育ち方や環境、教わってきたことによってその「孝行」の在り方は変わってくると思うのです。
特に、教育勅語の中で謳われている「天壤無窮の皇運」の世は、単に日本の事だけを示してはいませんから、国境を越えればまたそこには異なる「価値観」を持った世界が広がっています。

「価値観」というものは、一人ひとり異なっているんです。
そして、どの価値観が正しいとか、どの価値観が間違っているとか、「価値観」とはそのような「正解」があるものでもないでしょう。

ですから、私が正しいと思って他者に施した行いが、却って他者の感情を傷つけたり、もっと大変な事を惹起してしまうこともあるわけです。

だからこそ私たちは他者の価値観や考え方を学び、自分自身と異なる価値観をも認め、受容し、その上で自分が一番正しいと信じる行動をとっているわけです。

時にこれを実践しようとしても、様々な障害があり、実践するわけにはいかないこともあります。
目の前に困っている人が二人いたとして、必ずしも二人とも助けられるわけではないのです。ひょっとすると両者を見捨てなければならないこともあるでしょう。

明治天皇は、この文面の締めくくりで、「朕 爾臣民と倶に 拳々服膺」、つまり「忘れず、心に留めおく」とは記していますが、これを「実践する」とは記してませんね?

そして、その上で「臣民と、徳を一(いつ)」にすることを希(こいねが)う、としているわけです。
勿論教育勅語の骨子を考えたのは明治天皇ではありません。

文部科学省ホームページ によりますと、起草に関係した人物として名前が挙がっているのは元田永孚、伊藤博文、井上毅、山県有朋などの名前があります。

ですが、最終的には明治天皇がこれに目を通し、承認していますから、これは明治天皇の考え方にも合っているわけです。

ですので、あえて主語を明治天皇として記しますが、明治天皇は、全ての人が、同じ「徳」を「一(いつ)」にするということが、実はそう簡単な事ではないということをご存じだったのではないでしょうか。

ですので、

「あなたたち国民の皆さんがそうであるように、私もまたあなた方同様に『15の徳』をすべて忘れず、常に思い出せる状態にした上で、少しでもあなた方国民の考える『徳』に近づける様努力します。

そして、いつか私の考える『徳』が、あなた方国民の考える『徳』と同じものとなり、またあなた方国民の考える『徳』が、全ての国民の間で同じものとなり、日本国民全員が、一つの共通した素晴らしい価値観に基づいて行動できるようになることを心から願っています」

と、そう書き記しているのではないかと思うのです。


現在に生きる私たちが、
「教育勅語」から学ばなければならないこと


さて、それでは、振り返って見て、現在に生きる私たちはいかがでしょう。

勿論、「他者の価値観を認める」=「自らの考え方を捨てる」ということではありません。
とくに大切なのは、自らの軸となる、しっかりとした形のある考え方をきちんと持った上で、自分とは違う、第三者の考え方をきちんと受け止めるという事。

そして、その上できちんと自らの考え方も相手に伝えながら、お互いの違いを交渉し、高めあうという姿勢を持つということです。

間違えても、相手の考え方を全否定したり、相手の考え方を受け入れず、話を途中で遮ったり、自らの考え方を強引に相手に押し付けたりするような姿勢ではありません。

自らの軸となる考え方を持った上で、相手の話に耳を傾け、相手の考え方を理解しようとする姿勢を持つことが何より大切なのです。

 「朕 爾臣民と倶に 拳々服膺して 咸 其徳を一にせん」

とは、まさにこのような事を伝えようとしているのではないでしょうか。
現在の国会議員、特に野党の面々に、この教育勅語の教えを実践し、天孫の時代より続く天壤無窮の世、「日本」の事を本当に思い、日本という国を「扶翼」しようとする精神を持った政治家がどれほどいるのでしょうか。

この様な精神を持つことで初めて「皇祖皇宗」の時代より続く、「天壤無窮の皇運」の世、即ち「世界」へと思いをはせ、困難に立ち向かう他国の人々の為に「扶翼」する精神を持つことができるのではないでしょうか。

取り分けて民進、社民、共産、自由の面々に対して特に言いたい。
あなたたちのどこに「教育勅語」を貶し、否定する資格があるのかと。

教育勅語に込められている「思い」をぜひ彼らには実践していただきたいものです。

長くなりましたが、これにて教育勅語に関する記事は終了したいと思います。


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<継続する記事>
第288回 教育勅語とは?/教育勅語の現代語訳にチャレンジ

前回に引き続き、私なりの「教育勅語現代語訳」を掲載いたします。

冒頭に原文全文を掲載しておきます。

【教育勅語原文】
朕(ちん)惟(おも)うに  我(わ)が 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 国(くに)を肇(はじ)むること 宏遠(こうえん)に 徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり

我(わ)が臣民(しんみん) 克(よ)く忠(ちゅう)に 克(よ)く孝(こう)に 億兆(おくちょう)心(こころ)を 一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美(び)を済(な)せるは 此(こ)れ 我(わ)が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育(きょういく)の淵源(えんげん) 亦(また)実(じつ)に此(ここ)に存(そん)す

爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)に孝(こう)に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)し 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)じ 恭倹(きょうけん)己(おの)れを持(じ)し 博愛(はくあい)衆(しゅう)に及(およ)ぼし 学(がく)を修(おさ)め 業(ぎょう)を習(なら)い 以(もっ)て智能(ちのう)を啓発(けいはつ)し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し 進(すすん)で公益(こうえき)を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開(ひら)き 常(つね)に国憲(こくけん)を重(おもん)じ 国法(こくほう)に遵(したが)い 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)あれば 義勇(ぎゆう) 公(こう)に 奉(ほう)じ 以(もっ)て天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)の皇運(こううん)を 扶翼(ふよく)すべし

是(かく)の如(ごと)きは独(ひと)り 朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民(しんみん)たるのみならず 又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先(そせん)の遺風(いふう)を 顕彰(けんしょう)するに足(た)らん

斯(こ)の道(みち)は 実(じつ)に我(わ)が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の 遺訓(いくん)にして 子孫(しそん)臣民(しんみん)の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所(ところ) 之(これ)を古今(ここん)に通(つう)じて 謬(あやま)らず 之(これ)を 中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず

朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)と倶(とも)に 拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)徳(とく)を一(いつ)にせんことを 庶(こい)幾(ねが)う

明治二十三年十月三十日
御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)

教育勅語

前回の記事では、教育勅語原文の内、冒頭の2文の現代語訳にトライしてみました。

読み方として、特に大切なのは第一文

 「徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり」

という言葉なのだと私は思います。
「宏遠」や「深厚」という言葉で表現していますが、ここで記されている「宏遠」とは、その神代の時代からの「歴史」の奥深さを示しており、その時代に「樹つる」「徳」は今なお育まれ、成長し続けていると、そのような意味合いがここには込められているのでしょう。

単に「徳」と記していますが、その「徳」は、皇族の祖先である「皇祖皇宗」、そしてその「皇祖皇宗」が「肇めた」「日本」という国。
ここで歴史を築き上げたその一瞬一瞬に存在していた私たち「臣民」の祖先までをも含め、その全体で育み続けた「徳」。

その意味合いはとても深い物があると思います。

そして、その「徳」こそが私たち「臣民」が心を一つにして実現してきたものであり、「日本」という国のあるべき姿を示すものであという事。そして私たち日本人の「教育」とは、神々がこの世を築き始めた時代より受け継がれ、尚現在の世に於いて私たちが実現している『徳』にこそあるのだと、第二文では表現されています。

そして、その私たち「臣民」が心を一つにして築き上げてきた「徳」を、ここでは「美」であると表現され、その「美」こそ日本という国のあるべき姿、その「真髄」であるとしているのです。

「勅語」ですから、これは明治天皇より当時の日本国民に対して発せられた言葉である、という体裁が保たれています。
教育勅語に於いて、明治天皇は日本国民の事を非常に称賛しているんですね。

その上で、ではその「徳」とは何なのか。
これを列挙しているのが続く第三文。今回の記事の中心となる部分です。


教育勅語の柱

爾(なんじ)臣民(しんみん)

1.父母に 孝に

2.兄弟に 友に

3.夫婦 相 和し

4.朋友 相 信じ

5.恭倹 己れを 持し

6.博愛 衆に 及ぼし

7.学を 修め

8.業を 習い

9.以て 智能を 啓発し

10.徳器を 成就し

11.進で 公益を 広め

12.世務を 開き

13.常に 国憲を 重じ

14.国法に 遵い

15.一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ

 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし

合計で15項目ありますが、これが教育勅語に於いて、明治天皇が「日本の『徳』」であるとして示した内容です。

内容として難しいと思われるのは「恭倹」でしょうか。
辞書で調べますと、

 「人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞うこと。また、そのさま」

解りやすく言えば、「謙虚さ」のことですね。


その他、「業」とは「仕事」の事。

「徳器」とは、辞書で調べますと、

 ① 身に備わっている徳行(道徳にかなった行為)と器量(人徳と才能)。
 ② 道徳を守る性質。

とあります。他の訳文を見ますと、「人格」や「徳と才能」などとも訳されています。

本文には「徳器を成就する」とあり、「成就」という言葉を調べますと、これは元々仏教用語であり、「智」と「徳」を完全に身に着けた状態の事、とあります。

「成就」を「向上」というように意訳しているものも見かけますが、この様な内容から考えますと、

「徳器を成就する」とは、
「道徳心と器量を完全に身に着ける」ことを意味しているものではないかと思われます。


「進んで公益を広め」とは、「進んで社会全体の利益の為に貢献する」こと、
「世務」とは、「世の中の務め」の事ですから、「世務」を「開く」とは、世の中の為にできる新しい役割を切り拓くことを意味していると考えられます。

そして最終項目である

 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」

とは、第287回の記事 でお伝えした通り。

「ひとたびこの国に危急の事態が発生すれば、正義の心と勇気をもって公の為に身を捧げ、神代の時代から続くこの国が将来に亘って繁栄できるよう、その一助ととなりなさい」

といった意味合いでしょうか。第287回の記事 でも述べたように、福島瑞穂や共産党、民進党など、教育勅語を否定する人たちは、この一文を以て教育勅語全体を否定しています。

ですが、この言葉を現代に置き換えて考えれば、

東日本大震災のような、この国の将来に亘る運命を左右しかねない緊急の事態が発生した場合、正義の心と勇気をもって、自分自身の生活や仕事をさておいてでも、被災地で苦しむ人々の為に奉仕し、この国が安定して繁栄し続けられるよう、その助けとなりなさい

というような意味合いになると、そう考えるのがごく当たり前の視点なのではないでしょうか。
そうならないのはなぜか。日本が第二次世界大戦に於いて、アジア地域に対する侵略行為を行い、従軍慰安婦や南京大虐殺などの事件を引き起こし、特に中韓に対して迷惑をかけ続けたのだとする誤った「思い込み」があるからです。

また更に、私が行った「第287回の記事」の解釈でも尚、この「教育勅語」の解釈としては実にお粗末なものである・・・ということを、改めて全文を訳していて気づかされました。

では、この様な認識を踏まえて改めてこの教育勅語の柱となる部分について、私なりの「現代語訳」を記したいと思います。

あなたたち日本国民は、

1.お父さん、お母さんの為に孝行し

2.兄弟姉妹は仲良くし

3.夫婦はお互いを認め合い

4.友達はお互いを信じあい

5.他者をを尊敬し、自分自身は慎み深くする気持ちを持ち

6.他人を差別する気持ちを持たず、広く平等に人を愛する気持ちを持ち、

7.学問を身に着け、

8.仕事を教わり、

9.そうして自分自身の知識や才能を切り開き、

10.他者を思いやり、人の為に行動することを当たり前のこととしてできるようになり、

11.進んで社会全体の利益の為に行動し、

12.世の中の為にできる新しい役割を発見し、

13.常に憲法を重んじ、

14.法律に従い、

15.ひとたび日本国に危機が迫れば、正義の心と勇気をもって公の為に尽くし、

そして人類誕生の時代から続くこの国の将来のために貢献する気持ちを忘れないでください

いかがでしょう。

ひょっとすると原文に記している段階で気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、一節。即ち、福島議員が稲田さんを攻撃していた

 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ 以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」

というフレーズですが、この後半部分、「以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」とは、 「一旦緩急あれば 義勇 公に奉じ」という言葉のみにかかる言葉ではありません。

じっくり見てみればわかることですが、「以て 天壤無窮の皇運を扶翼すべし」とは、私が番号を振っている1番~15番までの項目全てにかかる言葉です。

自力で現代語訳を行わなければ、私もまた誤った解釈のまま今後も教育勅語を語っていたかもしれませんね。

国語的な解釈をすると、

「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」の主語は「爾 臣民」であり、「爾 臣民」の述語が「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」ですね。
1~15は全て「天壤無窮の皇運を扶翼すべし」の修飾語。

「臣民」は、1~15の「徳」を実践することによって、「天壤無窮の皇運を扶翼」しなければならない、ということが記された文章です。誤った教育を受けた人は、ひょっとすると

 なんで「天壤無窮の皇運を扶翼」しなければならないんだ!

と思う人もいるかもしれませんが、日本の成り立ちや歴史をきちんと理解している人であれば、そう抵抗を覚えることはないはずです。戦前は、海外に於いて、ごく当たり前に戦争が行われていたので、「ひとたび日本国に危機が迫れば、正義の心と勇気をもって公の為に尽くし」と教えられると、その選択肢として「戦争」という選択肢も含まれていたでしょうが、現在の日本に於いて、国民の中に「戦争」という選択肢は存在しません。

「正義の心と勇気」を以て、「公の為に尽く」さなければならない「危機」とは、現実的に考えて「大規模災害」しか考えられないはずです。にも拘らず、これを強引に「戦争」につなげようとする人々の頭の中は、一体どのような構造になっているのでしょうか。

考え方としては、「緊急事態条項」と一緒です。

緊急事態条項もまた、自民党が、「国民保護法」に於いて、本来であれば日本が戦争状態に陥らなければ宣言することができない「緊急事態宣言」を、大規模災害時にも行えるようにし、より速やかに救済・救援活動をおこなえるようにすることを目的とした憲法改正案なのですが、民進・共産・社民・自由党の面々は、「安倍内閣が戦争を行えるようにするための準備だ」と盛んに喧伝しています。

教育勅語批判も一緒です。内容を現代の社会システムに置き換えて考えれば何の疑問も発生しない内容を、まるで現在が戦前でもあるかのようにして考えるからおかしくなります。


さて。次回記事では、最後の残る3つの文章に関して記事にしたいと思います。


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<継続する記事>
第287回 教育勅語から見る現代の日本政治の最大の問題点

教育勅語原文

教育勅語

朕(ちん)惟(おも)うに  我(わ)が 皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 国(くに)を肇(はじ)むること 宏遠(こうえん)に 徳(とく)を樹(た)つること 深厚(しんこう)なり

我(わ)が臣民(しんみん) 克(よ)く忠(ちゅう)に 克(よ)く孝(こう)に 億兆(おくちょう)心(こころ)を 一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美(び)を済(な)せるは 此(こ)れ 我(わ)が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育(きょういく)の淵源(えんげん) 亦(また)実(じつ)に此(ここ)に存(そん)す

爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)に孝(こう)に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)し 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)じ 恭倹(きょうけん)己(おの)れを持(じ)し 博愛(はくあい)衆(しゅう)に及(およ)ぼし 学(がく)を修(おさ)め 業(ぎょう)を習(なら)い 以(もっ)て智能(ちのう)を啓発(けいはつ)し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し 進(すすん)で公益(こうえき)を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開(ひら)き 常(つね)に国憲(こくけん)を重(おもん)じ 国法(こくほう)に遵(したが)い 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)あれば 義勇(ぎゆう) 公(こう)に 奉(ほう)じ 以(もっ)て天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)の皇運(こううん)を 扶翼(ふよく)すべし

是(かく)の如(ごと)きは独(ひと)り 朕(ちん)が忠良(ちゅうりょう)の臣民(しんみん)たるのみならず 又(また)以(もっ)て爾(なんじ)祖先(そせん)の遺風(いふう)を 顕彰(けんしょう)するに足(た)らん

斯(こ)の道(みち)は 実(じつ)に我(わ)が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の 遺訓(いくん)にして 子孫(しそん)臣民(しんみん)の倶(とも)に遵守(じゅんしゅ)すべき所(ところ) 之(これ)を古今(ここん)に通(つう)じて 謬(あやま)らず 之(これ)を 中外(ちゅうがい)に施(ほどこ)して悖(もと)らず

朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)と倶(とも)に 拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)徳(とく)を一(いつ)にせんことを 庶(こい)幾(ねが)う

明治二十三年十月三十日
御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)

これが、前回の記事 より話題にしている、「教育勅語」の原文です。

少しでも読みやすい様、漢字、仮名遣いは現代漢字仮名遣いに訂正しています。

前回の記事では、この全文の内、特に福島瑞穂議員が稲田朋美防衛大臣に対して詰め寄っていた

 「一旦緩急あれば 義勇公に奉じ 以て天壤無窮の皇運を 扶翼すべし」

との件をピンポイントで解説しました。

前回の記事でも散々お伝えしましたように、戦前の日本の決断を、「侵略行為」だとか、関連して天皇陛下がまるで悪いことを為されたのような誤った解釈に基づいて教育勅語に目を通してしまうと、ここで記している内容の正確なイメージは先ずつかめないでしょう。

前提条件として、日本という国が、「古事記」や「日本書紀」に記された神話に基づく「歴史」の上に成り立っているという感覚を持つ必要があります。

そして、今上天皇に至るまで、全ての「天皇」という存在が、天照大御神という神様の血を引く、万世一系の存在である、という感覚を持つことが必要なのです。

今私たちが直接拝謁することの出来る今上天皇や、開戦に至る御聖断を行った昭和天皇、そして教育勅語の作成を命じた明治天皇だけでなく、神話の時代にまで遡る、歴代の天皇の祖先、原文に在る、「皇祖、高宗」の存在を頭に入れて読む必要がある、ということです。

これは、前回の記事に於いて、

 「一旦緩急あれば 義勇公に奉じ 以て天壤無窮の皇運を 扶翼すべし」

の件に目を通しただけでもわかりましたよね?


教育勅語の現代語訳にチャレンジ

ネットを検索すれば、この「教育勅語」に対する訳文はたくさんあるわけですが、訳文によって表現の仕方も違いますし、私自身に得心がいくかどうかという部分で、やはり自分自身で訳してみなければ見えてこない部分もあるのではないかと感じ、今回教育勅語の現代語訳にチャレンジすることとしました。


『朕 惟うに  我が 皇祖皇宗  国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり』

最初の一文です。このうち、「徳を樹つること」という部分なのですが、この言葉を調べてみますと、中国最古の歴書である、「書経」に記された言葉、「徳を樹(た)つるには滋(しげ)きを務め、悪を除くには本(もと)を務む」という言葉が出てきます。

「滋き」と「本」とは相反する意味合いを持っていて、「滋き」とは大本ではなく小さなこと、些細な事を意味していて、「本」とは逆に些細な事ではなく大元、根本の事。

「樹つる」とは読んで字のごとく、「立てる」や「建てる」にも通じるものなのですが、書経の例では、「身に付ける」という意味合いで用いられている様です。

「滋」という言葉そのものは草木が水や養分を吸収して育っていく様を表す言葉で、「樹」とは、元々樹木や農作物を「植える」または「立てる」という意味があるのだそうです。

では改めて、「徳を樹つるには滋きを務め、悪を除くには本を務む」という言葉ですが、

 「徳を身につけるには、どんな小さなことでもおろそかにせず、大切にしなさい。
 悪を取り除くには、まず根本から改めるよう努力しなさい」

といった意味合いを持つ言葉なのだそうです。

では改めて教育勅語に戻ります。

『朕 惟うに  我が 皇祖皇宗  国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり』

上記の内容を踏まえて「徳を樹つること深厚なり」という言葉を目にするといかがでしょうか。
この場合の「樹つる」は「身に付ける」というよりも「植える」、つまり「始める」といった意味合いに近い表現なのではないかと思われます。

またもう一つ。「国を肇むる」という言葉。
真説・年間暮らしの行事 というサイトで、以下のような記述を見つけました。

【以下引用】
建国記念の日
 
紀元前660年1月1日に日本の第一代天皇である神武天皇が即位されました。

その日を太陽暦に換算すると2月11日なので、 この日が建国記念の日として定められています。 しかし、 この日をもって日本の「建国」とする考え方は、 非常に「歴史迷信」といわなければなりません。

かつて明治天皇が教育勅語を制定されたとき、 草案を起草した元田永 孚らは冒頭部分を「国を建つること宏遠に」としました。 ところが明治天皇はその草案を却下されたのです。 すなわち日本には「肇国」はあっても「建国」はないということでした。 すなわち人類の歴史と同時に日本の国の歴史は始まっているのです。

そこで教育勅語はその部分が「こと宏遠に」と改められ、 はじめて明治天皇の御裁可が頂けました。

すなわち神武天皇から始まる神大倭かんやまと朝は第34代の皇統で、 その前に71世続いた武鵜草葺不合たけうがやふきあえず朝があり、 その前にも代々と皇統が続いてきました。

すなわち神武天皇から始まる日本の歴史は、 日本の本当の歴史からいえばほんの近代史にすぎないのです。

深い・・・。

「皇祖」とは初代天皇である神武天皇以前の皇族の事を、「皇宗」とは第2代天皇である「綏靖(すいぜん)天皇」以降の天皇のことを云うのだそうです。

綏靖天皇
【綏靖天皇】

明治天皇の思いとして、確かに天皇という存在は初代神武天皇より始まりましたが、「国を肇」まったのは、人類が誕生したその瞬間であった、とする思いがこの一文に込められているわけですね。

そしてそれ以来時が断たれることなく「徳」が研鑽され続けている、と。

 『朕 惟うに  我が 皇祖皇宗  国を肇むること宏遠に 徳を樹つること深厚なり』
深い・・・。

そして、これに続くのが

我が臣民 克く忠に 克く孝に 億兆心を 一にして 世々厥の美を済せるは 此れ 我が国体の精華にして 教育の淵源 亦 実に此に存す

国民のことを「臣民」と表現していることは、これは時代背景を現したものですから、これをあえて咎める必要性すらありませんね。

「克く忠に 克く孝に」という言葉には対象語が記されていませんが、これは「天皇陛下に」という意味ではなく、「皇祖の時代より続く天皇の世」つまり「日本」そのものを対象としているものと推察されます。

人によればこれが親であったり、世話になった恩師であったり、兄弟であったり、友であったり。
「世々厥(そ)の美(び)を済(な)せる」とありますから、これが教育勅語の作成されたその時代の事を現したものではなく、まさにこれまでの歴史の「億兆」の「心」を示したものであると考えられます。

「肇国の時代」より長きにわたって積み重ねられた「徳」が今まさにその時代の「美」を為しているのであり、これが「国体」、即ち日本という国のあるべき姿の「精華」、即ち「真髄」であり、そして教育の「淵源」、源であると、そう記されているわけですね。

そしてそれがまさに今、「実際に」「今の時代」に存在している、と。


記事が長くなりますので、一旦ここで終了し、後半を次回記事にて記したいと思います。


この記事のカテゴリー >>教育勅語


私、これまでシリーズとして、十五年戦争(日中戦争)の原因と結果 というタイトルで、「太平洋戦争」に関して、特に「日本と中国がなぜ戦争を起こすに至ったのか」という視点に着目して長らく記事を作成してきました。

ここを調査するに至った過程として、様々な理由を私は記しているのですが、たぶんこれまでに記していないであろう、理由の一つとして、ここを明確にしなければ、現在の日本の政治の問題点を本当の意味で知ることができないのではないかと感じ、どちらかと言えば「必要性に駆られて」作成したシリーズです。

カテゴリータイトルとして、なぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか というカテゴリーの子カテゴリーにはしていますが、内容は全て一緒。

どちらの視点からも通用する記事だと思っていますので。
ですが、今回の記事は外伝的に、あえてなぜ日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)を起こしたのか に対してダイレクトにつなぐ記事としています。

表現がすごく難しいのですが・・・前提として、「自虐史観」の問題があります。
フラットに考えていただきたいのですが、スタート時点には「色」を付けないようにすることが大切です。

根本として、第二次世界大戦(大東亜戦争/日中戦争)で、日本が本当に「悪」であったのか、それとも「正義」であったのかという問題はとりあえず脇に於いてほしいのです。

元々、私たちは何も知らない。彼の大戦がどの様な大戦であったのか、ひょっとしたら日本が参戦していたのかどうかという事すら、知らない。頭の中をそういう思考状態にしてみてください。

そして、1939年に欧州で「第二次世界大戦」という戦争が発生したらしい。
1941年に日本もこの戦争に参戦した「らしい」。

日本が良いとか悪いとか、まったく関係なく、初めてそういう情報を知ったと、そう仮定してみてほしいのです。ああ、そういう歴史があったのだ、と。


現在の日本国民の思考パターン

現在の日本国民は、なぜかそうではなく、「日本はあの戦争で『悪いことをしたのだ』」と、そういう前提条件で物事を考えてしまいます。そしてこれを否定する人たちは逆に「日本はよいことをしたのだ」という前提で歴史を語ろうとします。

「日本はあの戦争で『悪いことをしたのだ』」という前提で議論をスタートするのはまさに「色眼鏡」をかけて現在を直視するようなもの。だけど、現実を調べてみると、もしくは調べた人から話を聞くと、「日本はあの戦争で『悪いことをしたのだ』」という前提で議論をスタートする人たちの考え方が「何かおかしい」ということに気づかされます。

そうするとこれを否定する人たちは、「あいつらの言っていることはどうやら間違っているらしい」という前提で物事を見ようとし始めます。

そして、「日本は本当はよいことをした(白人の占領下にあった東南アジアの国々を救い出した)んだ」という視点ですべてを語ろうとし始めます。


ただ、一つ言えるのは、元々敗戦国である日本は、その出始めが「自虐史観」からスタートしていますし、「そうではないんだ」ということを悲観論者たちに対して納得させるためには、まずはその「自虐史観」を徹底的に崩壊させることからスタートしなければなりません。

これを崩した上で、改めてお互いの意見の中で「極論」に相当する部分をすり合わせていく必要がある筈なのです。
ところが、所謂「自虐史観」を唱える人たちは、そうではない側の人たちが、自分たちのいったことを

 「これは極論であり、必ずしも正しいとはいえない」

ということを認めると、なぜかこの「極論であり」という部分をごそっと外し、

 「あいつらは平気でうそをつく」

と捻じ曲げてしまうのです。そして、

 「あいつら嘘をついたんだから、自分たちが言っていることが正しいに決まっている」

と。

この様な会話が、日常会話だけでなく、なんと「国会」でも平気で繰り広げられているわけですね。


教育勅語から見る現代の日本政治の最大の問題点


上動画は、社民党福島瑞穂議員が、「教育勅語」をやり玉に挙げて、防衛大臣である稲田朋美議員を攻撃している様子です。

福島議員は、教育勅語の一部分である、

「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし」

という一文のみを切り取って、稲田大臣に、「あなたはこの文章も正しいと思っているのか」と聞いています。
ですが、稲田大臣は「教育勅語全体に流れている精神は大切にしなければならない」と答えます。

ではこの文章。いったいどのような内容なのかと申しますと、

「一旦(いったん)」とは、ひとたびとでも言い表した方が現代語としてはしっくりくるかもしれません。

「緩急」とは、デジタル大辞林によりますと、「差し迫った事態。危急の場合」と記されています。

「義勇」とは「正義と勇気」のこと。

「天壤無窮󠄁」とは、もともと日本の神話に於いて、天照大御神が発したとされる言葉、即ち

「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ」

という言葉に由来するもので、「天地と共に永遠に極まりなく続く様」の事を云うのだそうです。
上記引用で「天地と共に永遠に極まりなく続く」とされているのは、「天照大御神の子孫が王として納める地(くに)」のことで、即ち日本の事。

「皇運」という言葉は辞書で引くと「天皇・皇室の運命」とありますが、上記引用例から考えると、「天壤無窮󠄁の皇運󠄁」という言葉は、「天孫降臨の時代より続く歴代の天皇が治める世」と言った解釈の方が適切なのではないでしょうか。

即ち、「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし」とは、

「ひとたび危急の事態が起これば、正義の心と勇気をもって公の為に尽くし、神話の時代からずっと栄え続けたこの国の為、その一助となりなさい」

といった意味合いになるのではないでしょうか。
福島瑞穂を筆頭とする「自虐史観」の持主達は、教育勅語にあるこの言葉が彼の大戦に於いて国民を戦争へと駆り立て、「第二次世界大戦」という大惨事を招いたのだと、こう主張しているわけです。

そして、「そんな教育勅語を礼賛する人が防衛大臣という役職に在るのはおかしい」と。

ですが、ここでちょっと待っていただきたい。

確かに、第二次世界大戦に於いて、たくさんの日本人の命が巻き込まれ、対戦国なった米国や中国でも沢山の人がその命を失いました。ですが、いかがでしょう。

もう一度 こちらのシリーズ を読み返していただきたのです。

本当に「悪」であったといえるのはどの国でしたか?
中国に渡った居留民ではありますが、罪もない日本の民間人を虐殺し、その「人」としての尊厳を著しく傷つけたのは誰でしたか?

蒋介石のデマをうのみにし、本当の「悪」であったはずの蒋介石を支援し続け、短期間で終結したはずの日中戦争を泥沼状態へおと追い込んだのはどの国でしたか?

大本営陣営が大変な事態へと陥らない様に必死に頭を悩ませ、時に日本人同士で喧嘩しながらも妥協点を探り、交渉を続けてきたはずの日本に対し、資源の入手ルートを完全に断ったうえで

「いや、あれ、交渉だったの?
私たちはてっきり事前交渉だと思ってたんだけど?
もう一遍最初から交渉をやり直そうよ」

と言って日本に開戦を最終決断させたのはどこの誰でしたか?

時代が時代ですから、確かに

「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし」

という言葉の中に、「戦地へ赴く」という「公」もまた想定されているかもしれません。
ですが、「関東大震災」や「昭和金融恐慌」「昭和恐慌」などは「緩󠄁急󠄁」ではないのでしょうか?

戦後、現在の日本でいえば、東日本大震災、熊本震災、阪神大震災、リーマンショック、もっと言えば1998年から13年に渡って死者の数が年間3万人を超え続けた「自殺問題」まで含めて、「緩急」ではないのでしょうか?

被災し、または社会現象に巻き込まれた人々に「正義の心」と「勇気」を以て手を差し伸べることは「義勇󠄁公󠄁に奉」する行為ではないのでしょうか。そういったものをひっくるめて、国全体として皆が繁栄していく社会こそ「天壤無窮󠄁の皇運󠄁」なのではないのでしょうか?

ここに、

 「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし」

という教育勅語に含まれる一文が、日本を彼の戦争に駆り立てたんだという「自虐史観」。
そして、「日本軍が韓国や中国に『侵攻』したんだ」という根拠のない妄想が、あそこまで福島瑞穂をして稲田大臣を責め立てさせる「歪んだ偽善行為」を正当化させているのではないでしょうか?

ですが、その妄想を外して、改めて

 「一旦緩󠄁急󠄁あれば義勇󠄁公󠄁に奉し 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すべし」

という一文に目を通してみましょう。

教育勅語

間違っても先人たちが大切にしてきた志、「修身」をあそこまで馬鹿に出来るような歪んだ考え方にはならないはずです。

そういえば福島瑞穂、「共謀罪」についてもピンポイントで沖縄基地問題で「デモ」という名の暴力行為を画策する連中を擁護する発言を行っていましたが・・・あの人の頭の中はいったいどんな構造になっているのでしょうか。

余りにも醜いですね。

次回記事では、改めて「教育勅語」全文に目を通してみます。


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